【川瀬泰雄プロフィール】
東京音楽出版(現ホリプロ)入社後、山口百恵の引退までプロデュース。そのほか井上陽水、浜田省吾等のプロデュースも担当、現在まで約1600曲をプロデュース。
山口百恵さんの音楽は、独特の世界観がある歌といろいろなジャンルのエッセンスが散りばめられた高い音楽性が魅力となっています。その音楽世界について、川瀬さんにお聞きしました。
Q:独特な「山口百恵の世界」を感じてもらうのに、ファンの方にぜひ聞いてもらいたい曲を、いくつか紹介してください。
A:『プレイバックPart2』や『秋桜』など、ほとんどのシングル曲は、山口百恵さんの
個性的な世界がいろいろと出ていると思います。アルバム収録の曲もあげるときりがないのですが、あまり知られていない曲という意味では、
『イントロダクション・春』や『夜へ…』、
『アポカリプス・ラブ』、『あなたへの子守唄』
などがおすすめです。
Q:さまざまな曲を見事に歌う百恵さんは、特別なレッスンを受けていたのでしょうか? あれだけ幅広い曲に対応できるのは、超人的な印象を受けます。
A:突然レベルを引き上げていったわけではなく、直近のアルバムやシングル曲の出来上がりを見て、それよりも少しレベルを上げるという作り方をしていきました。ほとんどの場合、百恵さんの作り上げる世界がこちらの期待以上のものだったので、だんだん百恵さんとの競い合いのようになっていき、気がついた時にはかなりのレベルになっていたんだと思います。
Q:百恵さんの引退から約10年後に、完全なニュー・アレンジによるCDアルバム『百恵回帰シリーズ』3部作を手がけられました。数々の名曲に、改めて向かい合って新たな発見はありましたか?
A:これに関しては「山口百恵の個性」の強さや存在感の大きさを感じました。一度リリースされている曲で、しかもその当時にある程度の評価をされた形で出来上がっていた曲を、新たに歌いなおすのではなくすでに百恵さんの歌った音源を使って、新しく作るというのは、かなり難しいものがありました。新鮮な印象を作り出すことが出来なければ
これを作る意味もないし、かといって新しいアレンジでテンポを変えると元の歌には合わなくなってしまいました。
Q:それはどのように解決したのでしょう?
A:そのために、テンポを変えないでイメージの異なるアレンジにするという、難しい作業をアレンジャーの萩田氏と悩みながら作り上げました。それなりにガラッと変えたアレンジに出来上がり、百恵さんの歌を入れました。その結果、かなり変えたつもりのアレンジも百恵さんがそのアレンジで元から歌っているように聴こえるほど、百恵さんの歌が中心に居座っていました。結局どんなアレンジをしても、百恵さんの歌に全部持っていかれてしまいました。
Q:百恵さんの引退は、アルバム『This is my trial』、シングル『一恵』で最終章を迎えます。百恵さんの音楽作りで、さらにやりたかったことはありますか?
A:たぶん、そのままレコーディングを続けていれば、自然に次々にやりたいことが思いついたのだと思いますが、今思い出して考えてみるとまったくイメージが出てきません。その時々で全力投球していた結果だと思います。もちろんそれまでやってきたいろいろな音楽性をそれなりに上達させていったとは思いますが…。
Q:ラスト・レコーディングに対しての思いや感慨は、どのようなものでしたか?
A:ラスト・レコーディングに関しては、百恵さんとの最後のスタジオで歌のレコーディングが終わっても僕たちにはその作品を仕上げるために、たくさんの作業が残っていたという理由に加え、いつもと違って、スタジオにはたくさんの取材陣やスタッフも多く、最後のスタジオという時点で、それほど思い出に残るような強い感情は持っていなかったような気がします。その後、すべての作業が終わり、山口百恵さんの最後のレコード用のマスター・テープが出来上がった時に突然、すべてが無事に終わったという安心感と、喪失感のようなものが一気に出てきた記憶があります。
Q:本書では、デビュー曲の『としごろ』から引退までの全記録が書かれてありますが、アピールしたいところを最後にお聞かせください。
A:デビューから引退までが7~8年間という短期間であり、なおかつ、大成功というアーティストは、山口百恵さん以外にはいないと思います。これだけの成功を収めたアーティストの最初から最後までをずっと見てこられたという奇跡の体験を、どうしても記録として残しておきたかったということです。成功したアーティストの場合、ほとんどは数人のディレクターが関ったり、また移籍したりで、最後まで一人の人間が担当できることはほとんどありません。ビートルズも山口百恵さんと同じくらいの活動期間で大成功したアーティストですが、デビューから担当したプロデューサーのジョージ・マーティンも、途中、離れてしまう時期がありました。
Q:山口百恵さんと共に歩んだ川瀬さんの貴重な体験は、ファンの方々に、ぜひ知ってもらいたいです。
A:もうひとつは、音楽作品というものが、歌手はもちろんですが、作詞家と作曲家、編曲家の名前は、出演されたテレビ、または楽譜に、曲名と共に表記されることによって、作品に参加したことが明確ですが、プロデューサーやディレクターという仕事は、楽曲制作に最も関わり合いが深いのにもかかわらず、ともすれば、忘れられてしまいがちです。エンジニアも同様ですが…。40年以上音楽制作をやってきて感じた、楽曲を作るスタッフがもう少し認識されればいいのに、という希望があり、この本を書きました。
編集部:川瀬さん、ありがとうございました。音楽作りには、たくさんの方々の力が結集され、そのおかげで作品が完成することが、この本を読むと実感できます。最終回まで皆さん、ありがとうございました!
Archives————————————————
◆著者インタビュー(第3回)「当時のデモテープについて・続編」
◆著者インタビュー(第4回)「音楽プロデューサーの仕事について 」
「プレイバック制作ディレクター回想記 音楽「山口百恵」全軌跡」