第2回 マララは、美しい渓谷でその生を受けた

時にはマララのように

更新日 2020.07.16
公開日 2014.11.13
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 プロローグで、マララは思い出しています。

「どの子がマララだ?」男が厳しい声でいった。
………男は続けざまに三発撃った。…

 戦慄のシーンが私の胸を撃ちます。読み進めていくと、結びの言葉によって、さらに私は強く撃ち抜かれることになります。

 どの子がマララかって?(それなら言ってあげましょう、とでも言いたいのでしょうか?)マララはわたし。……

 わたしはいかなる者からも逃げはしない、しっかりと対峙するのだ、という強烈な意思の表明なのです。

 そんな彼女も、パキスタンの主要な民族の一つ、パシュトゥン人の平均的な価値社会の中でその生を受けています。

 男の子が生まれたら、歓喜の祝砲を鳴らし、女の子が生まれたときには、静かに落胆しカーテンの後ろに隠す社会。

 けれども、マララの父親ジアウディン・ユスフザイは違いました。娘の誕生に興奮を抑えることができなかったのでした。マララは言います。

 父はよく言っていた。生まれたばかりのおまえの目をみて、恋に落ちてしまったんだよ、と。

 見初めた女性を口説いているかのような言い方です。それとも、これは世界共通、娘を授かった父親なら誰しも浸る感慨なのでしょうか。

 彼女は、パキスタン北部のスワート渓谷、アフガニスタンとの国境に近い美しい土地で、決して豊かではないが、自由で理性的に、そしてたくましく育てられていくのです。

 しかし、これはタリバンの望むところではなかったのです。

(初版発行人 脇谷典利)

 

マララ・ユスフザイ

パキスタンの女性人権活動家。1997年7月12日、北部山岳地帯のスワート渓谷に生まれる。11歳のとき、英BBC放送のウルドゥー語ブログに、グル・マカイというペンネームを用いて、日記を投稿し、注目を集める。女性の教育の権利を認めないタリバンの圧力に屈せず、「女の子にも教育を、学校に通う権利を」と訴えつづける姿勢が、多くの人々の共感を呼んだ。2012年10月9日(当時15歳)、スクールバスで下校途中に、タリバンに襲われる。頭部を撃たれ、生死の境をさまようものの、奇跡的に命をとりとめ、その後も教育のための活動を続けている。その勇気と主張が評価され、2011年にパキスタン青少年平和賞、2013年に国際子ども平和賞を受賞。『タイム』誌の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」の最終候補者4人のうちのひとりにもなった。2014年、史上最年少でノーベル平和賞を受賞。その他、数多くの賞を受けている。全世界の子どもたちがみな教育を受けられるよう訴えるとともに、NPO組織である「マララ基金」を通して、世界中の草の根団体や教育支援活動をサポートしている。
www.malalafund.org

 

作品紹介

わたしはマララ

「すべての子どもに教育を」と訴え、イスラム武装勢力に銃撃された16歳の少女・マララの手記。本書は、テロリズムによって生活が一変した家族の物語でもあり、女の子が教育を受ける権利を求める戦いの記録でもある。世界36か国で翻訳の話題作!

定価:本体1,600円+税/学研プラス

 

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