第1回 マララとノーベル平和賞

時にはマララのように

更新日 2020.07.16
公開日 2014.11.05
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ひとりの子ども、ひとりの教師、一冊の本、そして一本のペンが、世界を変えるのです。教育こそ、唯一の解決策です。まず、教育を。

 2013年7月12日マララデー、国連本部でのマララ・ユスフザイさんのスピーチにおける締めくくりの言葉です。18分足らずのこの演説は世界を揺り動かしました。

 そして彼女は2014年のノーベル平和賞を、最年少の17歳で受賞します。ノーベル平和賞自体の存在意義やマララさんの受賞の背景についてはさまざまな意見がありますが、彼女自身の生き方や活動を支持・賞賛する声は、世界中に広がっています。

 国連演説の全文は、この本の巻末にも収められています(原書にはなく、日本語版のために掲載許可をもらったものです)。

 通常だと、本は巻頭から読み始めることになるでしょう。けれどもこの本に限って言えば(しかも今ごろになって言うのは、すでにお読みになった方には申し訳ありませんが)、巻末の国連演説から読むのもよいでしょう。

 それは、マララの主張がこの演説に集約されているからです。ここにはマララという少女、いやマララ・ユスフザイという人間の骨格が明確に表れています。

 たった今、教室や野外で行われている具体的な教育、その一つひとつの実践こそが世界を平和に導くものなのだ、という彼女の主張は、「理論」などではなく、(第一章から綴られる)日々の生活の中から生まれ出た痛烈なる「思い」なのです。その思いは、たとえば私たち日本人が17年かけたところで、到達するものではないでしょう。

 この本は、ほぼ時系列で書かれていますが、最後にもう一度、国連での演説を読むと、マララという人をより深く理解できるはずです。

 それにしても、マララの勇気と言ったら…。私も、時には彼女の勇気を思い出して強く生きたいものだと思います。

(初版発行人 脇谷典利)

 

マララ・ユスフザイ

パキスタンの女性人権活動家。1997年7月12日、北部山岳地帯のスワート渓谷に生まれる。11歳のとき、英BBC放送のウルドゥー語ブログに、グル・マカイというペンネームを用いて、日記を投稿し、注目を集める。女性の教育の権利を認めないタリバンの圧力に屈せず、「女の子にも教育を、学校に通う権利を」と訴えつづける姿勢が、多くの人々の共感を呼んだ。2012年10月9日(当時15歳)、スクールバスで下校途中に、タリバンに襲われる。頭部を撃たれ、生死の境をさまようものの、奇跡的に命をとりとめ、その後も教育のための活動を続けている。その勇気と主張が評価され、2011年にパキスタン青少年平和賞、2013年に国際子ども平和賞を受賞。『タイム』誌の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」の最終候補者4人のうちのひとりにもなった。2014年、史上最年少でノーベル平和賞を受賞。その他、数多くの賞を受けている。全世界の子どもたちがみな教育を受けられるよう訴えるとともに、NPO組織である「マララ基金」を通して、世界中の草の根団体や教育支援活動をサポートしている。
www.malalafund.org

 

作品紹介

わたしはマララ

「すべての子どもに教育を」と訴え、イスラム武装勢力に銃撃された16歳の少女・マララの手記。本書は、テロリズムによって生活が一変した家族の物語でもあり、女の子が教育を受ける権利を求める戦いの記録でもある。世界36か国で翻訳の話題作!

定価:本体1,600円+税/学研プラス

 

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