第7回  ノーベル平和賞は始まりにすぎない!

時にはマララのように

更新日 2020.07.17
公開日 2014.12.17
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 12月10日 オスロ市庁舎において、マララ・ユスフザイは、インドの人権活動家カイラシュ・サティヤルティさんとともにノーベル平和賞を受賞しました。

 マララの受賞演説は2013年の国連本部での演説よりさらに強いメッセージを含んでいるように思えました。

 例えば彼女はこんなことを言いました。(全文は新聞やインターネットで読むことできます)

 

 世界は初等教育の拡大ばかりに注力していましたし、成果が全員に行き届いたわけではありません……なぜ世界の指導者たちは、途上国の子どもたちには読み書きなど基礎的な能力があれば十分、という見方を受け入れるのでしょうか。彼らの子どもには、代数や数学や化学や物理の宿題をさせながら……(朝日新聞デジタル12月11日)

 

 このくだりは、私たちに強い示唆を与えています。先進国の人間が陥りがちな“やらないよりはましだろう”という考え方に警鐘を鳴らしています。もちろん現実には、読み書きすらできない子どもは世界に大勢いるわけですから、決して悪い施策ではない。でもそれだけでは世界は変えられない、とマララは気づいているのです。

 マララの演説を聞いたり読んだりしてから、もう一度この本に戻ると、演説における毅然とした物言いに、彼女の覚悟が読み取れます。

わたしはタリバンに撃たれたが、それはもう過去のこと。わたしはこれから第二の人生を生きていくのだ。まだ故郷スワートの谷に帰ることはできないが、もう泣き言は言わない。世界をより良く変える力となる教育の普及のために生きていくのだ、という悲壮なまでの覚悟を。

 実はちょうどこのコラムを書き終えたとき、パキスタンの学校で、パキスタン・タリバン運動(TPP)の武装集団が、多数の児童生徒を銃撃、殺害したというニュースが飛び込んできました。マララは当分の間スワートの谷に帰ることができないような気がします。

 しかしマララは最終盤に一つの“救い”を用意してくれています。それはやや唐突に始まる父と母の会話です。

 父は母にたずねた。「ベカイ(母の名前)、正直に答えてくれ。マララのことは——わたしのせいだと思っているのかい?」

「いいえ、違うわ……あなたはマララに尊いことをさせたのよ」

 両親のゆるぎない信頼が描かれていました。事実の重みに圧倒されて読み終えるところであったわたしは、この本を家族の絆の物語としてもとらえ直すことができたのでした。

(初版発行人 脇谷典利)

 

マララ・ユスフザイ

パキスタンの女性人権活動家。1997年7月12日、北部山岳地帯のスワート渓谷に生まれる。11歳のとき、英BBC放送のウルドゥー語ブログに、グル・マカイというペンネームを用いて、日記を投稿し、注目を集める。女性の教育の権利を認めないタリバンの圧力に屈せず、「女の子にも教育を、学校に通う権利を」と訴えつづける姿勢が、多くの人々の共感を呼んだ。2012年10月9日(当時15歳)、スクールバスで下校途中に、タリバンに襲われる。頭部を撃たれ、生死の境をさまようものの、奇跡的に命をとりとめ、その後も教育のための活動を続けている。その勇気と主張が評価され、2011年にパキスタン青少年平和賞、2013年に国際子ども平和賞を受賞。『タイム』誌の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」の最終候補者4人のうちのひとりにもなった。2014年、史上最年少でノーベル平和賞を受賞。その他、数多くの賞を受けている。全世界の子どもたちがみな教育を受けられるよう訴えるとともに、NPO組織である「マララ基金」を通して、世界中の草の根団体や教育支援活動をサポートしている。
www.malalafund.org

 

作品紹介

わたしはマララ

「すべての子どもに教育を」と訴え、イスラム武装勢力に銃撃された16歳の少女・マララの手記。本書は、テロリズムによって生活が一変した家族の物語でもあり、女の子が教育を受ける権利を求める戦いの記録でもある。世界36か国で翻訳の話題作!

定価:本体1,600円+税/学研プラス

 

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