発言を続けるマララは、国内で徐々に存在感を増していきます。それと同時に、彼女の発言や行動を快く思わない者からの批判や脅迫も数を増します。
しかし“ひるむ”という言葉を知らないかのようなマララの活動ぶり。あるスピーチでは、タリバンの命令を無視して、こっそり学校に通っていたことも公表します。そのころの彼女のスピーチ、すなわち彼女の主張は、端的に言うと次のようなものです。
わたしは教育がいかに大切かということを知っています。ペンと教科書を無理やり奪われた経験があるからです。
この本の中に、自分のスピーチを抜粋した箇所が、それほど多くあるわけではありません。自己顕示を避けようとする気持ちからなのか、それともスピーチや取材が日常化していて、再録する意欲に乏しくなっていたからなのか……。いずれにせよ、私にはこれが『わたしはマララ』の一つの魅力になっている気がするのです。主張を抑制し、事象を積み重ねることで、かえって手記に説得力と爽快感を与えているのです。
2011年12月、マララはパキスタンで最初の国民平和賞を受賞します。一躍時代の寵児となったのです。この賞は、以降18歳未満の子どもに与えられることとなり、“マララ賞”と名付けられました。ちなみに同年5月、ウサマ・ビン・ラディンが、パキスタン国内でアメリカの特殊部隊によって見つけられ、殺害されています。
けれども娘が国民的英雄になっても、母親は喜びません。世界の多くの母親がそうであるように、子どもには何よりも無事と健康を望んでいました。
すっかり有名人になったマララ。その名声と引き換えに、彼女は銃の標的になっていきます。タリバンは地域全体を支配することから、影響力のある人間を抹殺ことに活動の重点を変えていたのでした。
そして、悲劇の日を迎えます。
(初版発行人 脇谷典利)
マララ・ユスフザイ
パキスタンの女性人権活動家。1997年7月12日、北部山岳地帯のスワート渓谷に生まれる。11歳のとき、英BBC放送のウルドゥー語ブログに、グル・マカイというペンネームを用いて、日記を投稿し、注目を集める。女性の教育の権利を認めないタリバンの圧力に屈せず、「女の子にも教育を、学校に通う権利を」と訴えつづける姿勢が、多くの人々の共感を呼んだ。2012年10月9日(当時15歳)、スクールバスで下校途中に、タリバンに襲われる。頭部を撃たれ、生死の境をさまようものの、奇跡的に命をとりとめ、その後も教育のための活動を続けている。その勇気と主張が評価され、2011年にパキスタン青少年平和賞、2013年に国際子ども平和賞を受賞。『タイム』誌の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」の最終候補者4人のうちのひとりにもなった。2014年、史上最年少でノーベル平和賞を受賞。その他、数多くの賞を受けている。全世界の子どもたちがみな教育を受けられるよう訴えるとともに、NPO組織である「マララ基金」を通して、世界中の草の根団体や教育支援活動をサポートしている。
www.malalafund.org
作品紹介
「すべての子どもに教育を」と訴え、イスラム武装勢力に銃撃された16歳の少女・マララの手記。本書は、テロリズムによって生活が一変した家族の物語でもあり、女の子が教育を受ける権利を求める戦いの記録でもある。世界36か国で翻訳の話題作!
定価:本体1,600円+税/学研プラス