第3回  父ジアウディン・ユスフザイという存在

時にはマララのように

更新日 2020.07.17
公開日 2014.11.21
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 この本によれば、タリバンはマララが十歳のころにスワートの渓谷にやってきたということです。

 そこは、以前から保守的な価値観が支配的な地域。女性に対して様々な制約を課していました。成人女性でも親や親族以外の男性とは外出してはならない、女の子は家の中にいて、その存在すら公にしないように努める、などというように。

 スワートに来たタリバンは、さらに追い打ちをかけるように、日常生活の細部に至るまで、介入を行いました。女の子が学校に行くこともやめさせようとしたのです。

 そんな状況下のある日、マララの父親、ジアウディン・ユスフザイの声が地元の新聞に掲載されます。

「イスラムのフェダイーン(聖戦士)たちへ。……わたしの子どもたちにはかまわないでほしい。あなたたちが信じるのと同じ神に、わたしの子どもたちも毎日祈りを捧げているのだ。わたしの命を狙うのはいいが、わたしの学校の子どもたちに手を出すのはやめてくれ」

 このくだりを読んだとき、わたしはこう思いました。わたしなら“命を狙う”などという言葉を使うことなんてできない。“寝た子を起こす”つまり自分の命を狙えといっているようなものではないか? 命知らずの無謀な行為ではないかと。

 しかし、やがて深く納得させられることになります。

 彼の経営する学校に女の子が通っていて、しかも男性の受付がいる門から出入りしていることに、ある宗教指導者が激しく文句をつけました。そこで彼は、即座にもう一つの出入り口を作り、男女が別々の門をくぐることで切り抜けてみせたのです。

 彼は、子どもたちが危機に直面したとき、現実的な解決策を見出していきます。強靭な精神の持ち主であることに疑う余地はない。しかし彼を本当に強靭な人間たらしめているのは、降りかかる困難を打開する能力をも持ち合わせていることです。そこに、家族や子どもたちに対する愛の証しを見たのでした。

 

 アイデアや機転や度胸で、困難を乗り越えていく父の話。それを自慢げに語る娘マララ……悲惨で切ない話が続く中にも、小さな宝石がちりばめられているのです。

(初版発行人 脇谷典利)

 

マララ・ユスフザイ

パキスタンの女性人権活動家。1997年7月12日、北部山岳地帯のスワート渓谷に生まれる。11歳のとき、英BBC放送のウルドゥー語ブログに、グル・マカイというペンネームを用いて、日記を投稿し、注目を集める。女性の教育の権利を認めないタリバンの圧力に屈せず、「女の子にも教育を、学校に通う権利を」と訴えつづける姿勢が、多くの人々の共感を呼んだ。2012年10月9日(当時15歳)、スクールバスで下校途中に、タリバンに襲われる。頭部を撃たれ、生死の境をさまようものの、奇跡的に命をとりとめ、その後も教育のための活動を続けている。その勇気と主張が評価され、2011年にパキスタン青少年平和賞、2013年に国際子ども平和賞を受賞。『タイム』誌の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」の最終候補者4人のうちのひとりにもなった。2014年、史上最年少でノーベル平和賞を受賞。その他、数多くの賞を受けている。全世界の子どもたちがみな教育を受けられるよう訴えるとともに、NPO組織である「マララ基金」を通して、世界中の草の根団体や教育支援活動をサポートしている。
www.malalafund.org

 

作品紹介

わたしはマララ

「すべての子どもに教育を」と訴え、イスラム武装勢力に銃撃された16歳の少女・マララの手記。本書は、テロリズムによって生活が一変した家族の物語でもあり、女の子が教育を受ける権利を求める戦いの記録でもある。世界36か国で翻訳の話題作!

定価:本体1,600円+税/学研プラス

 

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