第1回 第一話を書くときには登場人物たちの運命がどうなるかはまったくわからない(道尾)

道尾秀介(作家)対談 「Jam Session」

更新日 2020.07.21
公開日 2013.07.31
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道尾秀介:谷原さんは以前、「王様のブランチ」で僕の『球体の蛇』をとりあげてくださいましたよね。しかもすごく気に入っていただいて、「谷原・オブ・ザ・イヤーです」なんて言ってくださって(笑)。

谷原章介:「王様のブランチ」で僕らがしゃべっていることは、本当に正直な思ったままのことなんですよね。

道尾:自分より人生経験があって、いろいろなお仕事をされて、たくさんの人と関わり合っている方におもしろいと言っていただくと、本当に嬉しいんです。たとえば書斎に籠もって大量の本を読んでいる方に作品を「分析」してもらうより嬉しいかもしれない。自分の小説は実人生と地続きじゃないといけないと思っているので、ふだん生身の人間と渡り合っている方の感想というのは励みになります。

谷原:こちらこそ、道尾さんの作品にはいつも力をもらっています。この『ノエル』という作品は、ちょっと世相的には慌しい中で読みました。僕自身が暗い気持ちだったのが、小説を読むことによってすっと背中を後押ししてもらいました。そういう僕の個人的な感想を措いても、本当に緻密によくできているなと。

道尾:ありがとうございます。

谷原:この作品では人と人のつながりの緻密さにも本当に感動しました。小説を読んでいて「これは出来すぎじゃないか」と思ってしまうと、ストーリーに対して醒めてしまうことがあるのですが『ノエル』はそういうわざとらしい部分がなく、ぴたりとはまって符号していて、本当にすべてがつながっているな、と。

道尾:第一話を書いているときには、第二話はまったく頭の中になかったんです。第二話を書いているときも第三話のことは考えていませんでした。登場人物たちの運命がどうなるかはまったくわからない、先々でどうつながっていくか僕自身も知らないという状況で書いていったんです。もし最初に設計図をきっちり引いてしまっていたら、もっと不自然な出来になっていたと思います。谷原さんがおっしゃるように、出来すぎた、予定調和のものになってしまっていたんじゃないかと。

 第一話「光の箱」では中学生時代の圭介と弥生がクリスマスの童話を書いています。その童話も、じつはもともと昔の僕が書いたものだったんです。でもなぜ書いたのかを憶えていなかった。その「なぜ」の部分に主人公たちの運命を託してみようという気持ちで、「光の箱」の一行目を書きました。最初から、そうやって一つの世界に新たな世界をつなげていくという発想で書き始めたものだったんです。

谷原:いつもそういうスタイルで書かれるんですか?

道尾:連作小説はそうですね。長篇の場合は全体像を考えますけど、それでも書き始めの時点ではラストシーンがなんとなく浮かんでる程度です。書いているうちに、そのラストシーンがどんどんはっきりしてはくるのですが。

谷原:長篇とくらべて、短い中で一つの物語を着地させるのって、独特の難しさというものがやはりあるんですか?

道尾:短篇は使う言葉が長篇より少ないですから、たった一文字、たった一行、間違ったことを書くだけで全体が崩れてしまいます。そこは本当に気を遣います。

映画は彫刻、連続ドラマは粘土細工(谷原)

道尾:ドラマなどの撮影の際にコマ撮りということをされますよね。それを撮っているときに、前のカットで何が起きたか、後で何が起きるかわからない、ということもあるんですか?

谷原:たまに時間がないときに、台本も上がってこない段階で、ここだけは予告を撮らないといけないようなことがあって、例えば8話の第何シーンだけとか、前後がわからないままに撮っていたりもしますね。道尾さんがおっしゃった長篇と短篇の違いというか、映画だと脚本が全部上がっているので全て自分の中で組み立てて要らない部分は捨てていけるんですね、彫刻みたいに。でもドラマの場合は、基本は最初の一話、二話くらいがあって進みながら、こんな話になっていくのか、と徐々にわかっていく感じです。

道尾:あ、なるほど。

谷原:ドラマって不思議なもので、放送していくうちに、各方面のリアクションを作り手側が無意識のうちに受け止めて、徐々に変わっていったりするんですよ。だから、連続ドラマはやっぱり塑像のように、粘土細工のように作り変えていく感じです。映画のときみたいに部分を捨ててしまうと、その中に必要な物があったりするんで、もっと茫漠とした感じで役作りをすすめていきます。僕らは基本的にストーリーを用意してもらっているので、全体を見るよりはミクロの視点からドラマを捉え直したりしますね。

道尾:役作りのときには、むしろ自分の役しか理解しない方がいいということなんでしょうか?

谷原:他のキャラクターも一応理解はします。でも自分の役については、責任を取るということでしょうね。もちろん役作りは一人でするものではなくて相手役とのやりとりで出来ていく部分もありますが、自分の責任についてはクリアにしておきたいという感じです。

道尾:僕は長篇を書いているときや、短篇を連作につなげているときに、子供が粘土をいじっているのと変わらないなあと思うことがあるんです。谷原さんがされた塑像の話と、すごく似ていると感じます。「役作り」ということで言えば、小説ではいくら主人公がいても、その人物の視点だけに責任を持つわけにもいかないんですよね。基本的には主人公の視点と一体化しながら、ときおりザッピングのような感覚で他の視点に切り替えて、またメインのカメラにもどってくるような感じで書きます。もちろん一人称の小説でも同じです。

谷原:『ノエル』で言うと、圭介の先生だった与沢が元住んでいた家に、意外な人物が越してきたことが後からわかりますよね。そういう展開は与沢が主人公の回を書くために最初から作っていたわけじゃないんですか。

道尾:小説って、紙が文字でびっしり埋まってるわけですけど、じつは書かれていないことのほうが圧倒的に多いんですよ。ですから、後から余白を利用しようと思えば何でもできるんです。

 ただ、自分の小説を読み返して「あまりに作り物めいている」と思ったときは、その原稿は捨てますね。現実の世の中にだって、そんな偶然があるものか、みたいな出来事は確かにいくらでも起きますが、小説の場合、書き方によっては本当に作り物っぽく見えてしまいます。そのさじ加減はいまだにわからないんですよね。だからいまでも原稿をたくさん捨てます。比喩ひとつとっても、いかにも「ひねり出しました」みたいなのは後の推敲でみんな消えていく運命です。

谷原:難しいですね。韓国のドラマって日本のものよりすごく劇的に作られていると思うんです。それがぐっと人の心をつかむこともある。逆に、日本のドラマは緻密にリアリティを重視して創りあげていくことが多いんですけど、その中ではちょっとしたことがすごくあざとく見えてしまう場合もあったりします。

道尾:全体の中で違和感があるかどうかの問題かもしれませんね。僕の場合、全体のイメージを構成するのは文体なんですけど、その文体と情景描写などがマッチしていないと、そこが目立ってしまうんだと思います。

小説の中でしか絶対に見られない綺麗な何かをつくりたかったんです(道尾)

谷原:直木賞を受賞された『月と蟹』と『ノエル』を読み比べて、救済ということについて考えました。『月と蟹』では安易な救済は訪れないんですけど、救いがありそうな光明は射すんですよね。でも現実はそう甘くなくて、そんなに簡単に奇蹟は起こらないし、現実の世界では誰かが簡単に手を差し伸べてくれたり、それまでの鬱屈がリセットされたりする瞬間ってなかなか訪れない。そこが心に響きました。
『ノエル』はそれと対照的に救済がある物語じゃないですか。比較として適切かちょっとわからないですけど、『ペイ・フォワード』(※)という映画があります。あれは誰かが誰かのために何かをしてあげることによって世界が少しでも良くなる、という発明をある少年がしたというお話なんです。
『ノエル』の場合も、誰かが誰かのためを思ってちょっとした心配りをすることによって世界がだんだん明るくなり、その明るい輪が出来上がったものがエピローグにまとまっている、という印象を受けました。

 なんで同じ作家さんが、こんな対照的な作品を書けるんだろうって読んで不思議に思ったんですよね。

道尾:同じ事を二度やらないと決めているので、たとえばラストシーンで世界に光をあててあげるとしても、その方向や光量はいつも違ったものにしています。

 じつは『ノエル』に関しては、「物語という役者」が主人公のようなところがあって、小説家が「物語」をテーマにするということで、大きなプレッシャーがありました。道尾秀介は自分の作っているものをどうとらえているか、というところまで読まれる可能性がありましたから。ですから、他のどの世界にもない、小説の中でしか絶対に見られない綺麗な何かをつくりたかったんです。

谷原:作中作の童話の中に、羽を失った王女さまが空を飛ぶ、という話がありますね。あれがすごく素敵だなと思いました。魔法でぱっと飛べるようになるとかではなくて、物事を見る視点を変えることによって元気になることができる。それは、さっき言ったできすぎたリアリティみたいなものの真逆にあるようなきがするんですよね。とてもリアリティがある素敵な話で嬉しかったです。

道尾:その童話を書いているときって、僕という現実の人間が書いてるんじゃなくて、王女さまが物語を作ってるんですよね。その構図の逆転が、「真逆」ということにつながるのかもしれません。

谷原:なるほど。

道尾:現実をいつも物語で包んでしまうと、実人生がつまらなくなっちゃうと思うんです。最近は、とくに若い人の中に終始自分を物語で包んでしまっている人が多い気がします。何かやりたいことがあって本当は努力したいのに、自信がないから「自分は何もできない人間だ」というストーリーに入ってしまって、そこから出てこない。いつもではなくて、ここ一番のときに物語を身にまとって強くなるというのが、いい生き方だと僕は思います。

(次号に続く)

司会・構成/杉江松恋  撮影/干川 修

※ペイ・フォーワード:『ペイ・フォーワード 可能の王国』。2000年にアメリカで製作された映画。監督:ミミ・レダー、出演:ハーレイ・ジョエル・オスメント、ケヴィン・スペイシー、ヘレン・ハント。「もし君たちが世界を変えたいと思ったら、何をする?」社会科の授業で出された問題に、11歳のトレバーはあるアイデアを思いつく。それは”ペイ・フォワード”。他人から受けた善意をその人にではなく、別の人へと贈ることだった……。

作品紹介

ノエル: -a story of stories-

物語をつくってごらん。きっと、自分の望む世界が開けるからー理不尽な暴力を躱すために、絵本作りを始めた中学生の男女。妹の誕生と祖母の病で不安に陥り、絵本に救いを求める少女。最愛の妻を亡くし、生きがいを見失った老境の元教師。それぞれの切ない人生を「物語」が変えていく…どうしようもない現実に舞い降りた、奇跡のようなチェーンストーリー。最も美しく劇的な道尾マジック。

プロフィール

谷原 章介

1972年神奈川県出身。俳優。雑誌「メンズノンノ」の専属モデルから1995年映画「花より男子」でデビュー。二枚目から三枚目まで幅広い役柄を演じる。またTBS「王様のブランチ」NHK「きょうの料理」の司会者としても活躍中。2014年NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」に竹中半兵衛役で出演が決定。

道尾 秀介

1975年東京都出身。2004年、「背の眼」でホラーサスペンス大賞特別賞を受賞し、作家としてデビュー。2007年「シャドウ」で本格ミステリ大賞、2009年「カラスの親指」で日本推理作家協会賞、2010年「龍神の雨」で大藪春彦賞、「光媒の花」で山本周五郎賞を受賞。2011年「月と蟹」で直木賞を受賞。近著に「カササギたちの四季」「水の柩」「光」「ノエル」「笑うハーレキン」などがある。

 

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