私が断捨離を外に向かって発信し出したのは、2001年の秋のこと。本を出版する以前からセミナーを展開しており、これまでに延べ5000人以上の方々に参加していただいたでしょうか。そして、講演で聴講くださった方々は、おそらく数万は下らないでしょう。
セミナーでも、講演でも、私が一方的にお話しするだけでなく、参加者の方々から片づけに関する悩みや質問を直接聞いてきました。
悩みは人によってそれぞれ違うものの、多くの女性が口にするのが「片づけられない」という言葉。言葉のあやと言えばそれまでですが、多くの女性が「片づかない」ではなく、「片づけられない」と悩みを訴えるのです。
でも、よく考えたら、「片づけられない」というのはとても妙な表現。
なぜなら、「片づいているかどうか」というのは家の状態を表す結果であって、「られる」「られない」というのは能力の話。
つまり、「片づけられない」と言うのは、女性が片づけを「能力」ととらえている証拠。「片づけられない」と自分を責めているのです。
一方、多くの男性には「片づけられない」という悩みは存在しません。セミナーに来られる男性も、「片づかない」とは言いますが、「片づけられない」とはめったに言わないのです。
つまり、男性にとって、片づいているか片づいていないかという「状況」の問題と、自分の「能力」の問題は別の話なのです。
おそらく女性は、片づけをはじめとする家事労働というのは、「女性がやるものだ」という認識を無意識のうちに持っているのでしょう。
逆に、男性が片づけを状況ととらえるのは、もしかすると「片づけは誰かがやってくれるもの」というアタマがあるからなのかもしれません。
同じ片づけに対しても、男女では受け止め方が違うのだと実感させられます。
さらに、「片づけられない」と自分を責めてしまう女性(まれに男性も)には、「片づけなんて、誰にでもできる簡単な家事労働」という考えが根っこにあるようです。
しかし、結論から言えば、これは大間違い。
片づけは、けっして簡単な作業ではありません。
片づけは、単に散らかったモノを「収納」したり、見栄えがよくなるように「整理整頓」したりする作業でもなければ、汚れたところを拭いたり磨いたりする「掃除」とも別のもの。
収納や整理整頓、掃除であれば、せっせと頑張ればそのうちになんとかなりますが、片づけは、モノの「要・不要」をはじめとした判断を要求される、非常に知的な作業なのです。
やました ひでこ
東京都出身。石川県在住。早稲田大学文学部卒。 学生時代に出逢ったヨガの行法哲学「断行・捨行・離行」に着想を得た「断捨離」を日常の「片づけ」に落とし込み、誰もが実践可能な自己探訪メソッドを構築。 断捨離は、心の新陳代謝を促す、発想の転換法でもある。 著者が創出した「断捨離」は、今や一般用語として広く認知され、年齢、性別、職業を問わず圧倒的な支持を得ている。 処女作『断捨離』(マガジンハウス)は、日本はもとより台湾、中国でもベストセラーとなり、『俯瞰力』『自在力』(いずれもマガジンハウス)の断捨離三部作ほか、著作・監修を含めた関連書籍は累計300万部を超えるミリオンセラー。 本書は、初の大人の男女向けの作品。
作品紹介
空間を整えると、人生がととのう。溜め込みと抱え込みで、人生を重たくしている大人の男女に向けて、断捨離の極意を紹介する。
定価:本体1,300円+税/学研プラス