第1回 実は佐藤さん、僕より作家デビューが早いんですよね(道尾)

道尾秀介(作家)対談 「Jam Session」

更新日 2020.07.21
公開日 2013.10.10
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佐藤江梨子:私が初めて道尾さんのお名前を知ったのは、NHKの「トップランナー」で特集されていたときなんですけど、こんなイケメンの人が作家さんにいるんだ、って驚いたんですよ。ブログなんか見ても、意外にちゃんとしてそうだし。

道尾秀介:ぜんぜんそんなんじゃないです。でも「ちゃんとしてる」って、どんなひどいイメージだったんですか最初は(笑)。ところで、実は佐藤さん、僕より作家デビューが早いんですよね。『気遣い喫茶』(集英社)を出されたのは、十年前、二〇〇三年だから。

佐藤:作家って言うか、そこに入れたのは落書きみたいな文章ですから。今だったらもう少しまとめて書けるんじゃないかと思うんですけど。

道尾:でもおもしろかったです、これ。僕には絶対に書けない文章ですし。そういえば僕は、自分が作家になる直前に、佐藤さんがこの本の記者会見をやっていたのをテレビで見ていたんです。ちょうど自分が「作家になりたい」と一番強く願っていたときに、佐藤さんは本を出されてるんですよね。

佐藤:いや、本を出したということでは同期みたいなものじゃないですか。だから道尾さんに初めてお会いしたときに「私と同じ歳くらいですか?」とか聞いちゃったんですよ。そしたら、「絶対にそんなわけないでしょう!」って言われて(笑)。

道尾:大きく括れば同年代かもしれませんが、僕のほうが上です(笑)。『気遣い喫茶』には、佐藤さんはご自分のことをいろいろ書かれていますよね。語感もおもしろかった。たとえば「東京生まれ、あちこち育ち」(「東京タワー」)という表現なんかはすごく印象に残りました。ちなみに僕は、どちらかというと「あちこち生まれ、東京育ち」なんです。ほんの小さい、まだ物心付く前にあちこち引っ越していますから。その後、小学一年生からはずっと東京です。なぜかウィキペディアには兵庫県生まれって書いてあるんですけど。

佐藤:そういえばこの間、道尾さんの作品を読み返していたら、「これ、ページをめくってんじゃなくて、カサブタめくってんじゃないか」ってふっと思ったんですよ。

道尾:ああ、おもしろい、それ。

佐藤:めくったら傷つくことしかないし、バイキン入るかもしれないし、もっとひどいことになるかもしれないでしょう?
これは柳美里さんに言われたんですけど、読書というのは脳と脳とのコミュニケーションだって。昔で言ったら手紙のやり取りとかがそうですけど、この文章で読者が何を想像するか、何を思うかということまで作家は頭でコントロールしながら書くじゃないですか? 道尾さんの小説は、こんな表現で悪いんですけど、ページをめくるたんびにカサブタをめくってるような気持ちになります。「めくっていいのかなぁ」と思いつつも、めくらずにはいられなくなる(笑)。

だからいつも、「ああ、めくっちゃった」って感じですよ。もうめくりだしたら、全部取っちゃえ、になっちゃう。膿になっても、バイキン入ってもいいから読みたいという人が読んだら、余計に良く感じるんじゃないかな。だから、道尾さんのファンの方って、そういう方が多いんじゃないかな、というのが勝手な印象です。

道尾:でも、そういうのが苦手な人はいるんですよね。最近、特に勇敢な読者が減って、臆病な読者が増えたような気がします。「痛いから読みたくない」「もっと柔らかいものがいい」って。

佐藤:えー! 初めて聞きました。そんな読者がいるなんて。

道尾:だって「ミステリーは人が死ぬから読まない」って人もいますよ。

佐藤:そんな(笑)。

道尾:「救い」を書くのに、肝腎の「救われるべき人」や「救われるべき世界」をしっかり書かないというのは、本当に意味がないと思うんです。たとえば、野球の小説を、プレイヤーを登場させずに書けるかというと、絶対に無理ですよね。しかし、おもしろいなあ。カサブタをめくっているみたい、というご意見は初めて聞きました。

佐藤:思い出もモノによっては、カサブタをめくるみたいな気持ちになるときってあるじゃないですか。「これはちょっとフラッシュバックしちゃうかな?」って。これを思い出せば、きっとまた傷ついちゃうけど、思い出しちゃう、とか。それに近い感じですかね。

思い出の捉え方でその人の、ものの考え方がよく判る気がします(道尾)

——『球体の蛇』という小説は、作品内の時間が一九九二年に設定されていて、回想形式が使われています。過去の記憶についての小説だと言えるでしょうか。

道尾:そうですね。主人公が一人称で語っていますから、現在ではこの人はちゃんと生きていて文章を書ける状態にある、というところまで判った時点で話は始まります。佐藤さんは、やっぱりこの小説もカサブタを剥がすような気持ちでお読みになられたんですか?

佐藤:そういう感じです。

道尾:この本以外にも過去を語っている小説は書いたことがありますけど、思い出を物語の主体にすることで、すごくミステリアスな世界を生み出すことができるんですよ。そのかさぶたの喩えだと、どんな怪我をしたのか見えていない状態で始まり、めくっていったら、最初の傷跡が見えるという。

佐藤:あー、なるほど!

道尾:いろいろな作家さんが「思い出は何々である」って書いてますよね。思い出の捉え方でその人の、ものの考え方がよく判る気がします。
向田邦子さんは、ねずみ花火に喩えたことがあるんです。思わぬ方向にクルクル回って行って、意外なとことでパンと弾ける。それを「ねずみ花火のようで楽しい」っていう言い方をするんですよね。

アメリカのトマス・H・クックという作家は、それとはいわば反対で、思い出を“a beach strewn with landmines(地雷の撒かれた平野)”だというんです。慎重に歩いていかないと、いつ踏みつけて爆発するか分からない、と。

佐藤:ものの考え方といえば、私は道尾さんにお会いする前から小説は読んでいて、『光媒の花』とか、『シャドウ』とか、リアルっぽい言葉を書く人だな、というイメージを持っていたんです。出てくる登場人物に現実感があって、現実的な言葉を使うでしょう。だから、読みやすいなぁと。

道尾:会話に関しては、登場人物に喋らせて、それを聞いて書き写してるような感覚なんです。句読点の打ち方も、息を吸うタイミングに合わせていたりします。たとえば漢字を開く(ひらがなにする)かどうか、ということよりも句読点のほうが重要です。今、佐藤さんが言ってくださったリアルというのは、たぶん現実世界に近いという「リアル」じゃなくて、現実感があるという「リアリティ」のほうだと思うんです。

佐藤:そうです。リアリティですね。リアルのほうは、たまにびっくりしますよね。
このあいだ若い男の子が二人で喋ってたんですけど「こないだヤバかったんだよねぇ。風邪引いたんだよ」「風邪引いたらヤバイ!」「マジヤバイ!」って(笑)。それで「意味わかんない!」って二人で笑ってるんですよ。「なんだこれは!この人たちが一番ヤバイよ」って。

小説だと、ちゃんと地に立っているような言葉があるのが好きなんです。道尾さんの作品の会話は、あまり物語だということを意識させない感じがありますね。こういう人がいるんだな、というのがちゃんとわかって話に入っていける。

道尾:ありがとうございます。

道尾さんは、わざと実写化できないように、そういう作品ばっかり書いている気がするんですよ(佐藤)

――佐藤さんが最初に読まれた道尾さんの作品は『向日葵の咲かない夏』なんですか?

佐藤:そうです。「かっこいい! あ、読もう、読もう!」みたいなテンションで手に取ったんですけど、読んだら「怖っ!」って(笑)。これは絶対実写化とかできないな、と思いました。

道尾さんは、わざと実写化できないように、そういう作品ばっかり書いている気がするんですよ。実写化しやすい小説というのはいっぱいあるんですけど、その逆を行ってるというか。文章だから許されるけど、映像化した途端に「このシーンはダメ」ってなっちゃう場面もたくさんありますよね。『球体の蛇』もそうなんですけど、現実との距離を感じさせる作品が多いなと思います。

道尾:ありがたいです。僕が小説を書くときの大前提は、「映像化できないこと」なんですよ。

佐藤:わかります。映像と小説では全然制約が違うので。私も、前にすごくおもしろい作品があって「絶対これを実写化しましょう」って言ったら、それが、喩えて言うと脱獄犯が出世しちゃう、みたいな話だったんですよ。本としては売れてるし、役者さんから「やりたい」って名乗りも上がったんですけど、法に反する部分が大きすぎてGOサインが出なかったんです。そういうことは結構ありますね。

道尾:僕は、映像でやれることは映像に任せたほうがいいという考えなんです。だって、楽しむのには映像のほうが時間も労力も少なくて済みますからね。

本を読むのって、実は大変な作業なんですよ。それはどんな読みなれた人でも同じだと思います。わざわざ面倒くさいことをさせるんだから、映像メディアが絶対に提供できないものを届けなくちゃいけない。それは、制約云々ももちろんですが、文章でしかできない表現、仕掛け、言葉でしか描けない景色、音、声、表情、感情、そういったものもすべて含んでのことです。映像は一瞬で大量の情報を伝えられるけど、できないことも実はたくさんある。小説は小説でしかできないものに挑戦しつづけるべきだと思いますし、それをやらないと、あっという間に他のメディアに淘汰されてしまいますよね。

佐藤:『球体の蛇』にはサン・テグジュベリの『星の王子さま』のことが出てきますよね。あの本も人によって解釈が全然違うでしょう? だから、『星の王子さま』をすごい好きな人が『球体の蛇』を読んだ後にどう思うかということも、違うでしょうね。

道尾:『星の王子さま』の冒頭近くに、羊の絵を描くシーンがあるじゃないですか。主人公がどんな絵を描いてやっても王子さまは気に入らない。最後に箱だけ描いて「はい、この中に羊がいるから」って言うと、初めて気に入る。あれがすごく示唆的で好きなんです。

僕が小説でやりたいことって、まさにそれなんですよ。ものごとを全部書いてしまったら、とんでもない長さになりますし、それで世界が大きくなるかというと、逆に小さくなってしまう。これはたとえば、ポスターと絵の違いみたいなものだと思うんです。ポスターは百人が見たら百人に言いたいことが伝わらないと、ポスターとしての意味が無いわけですよね。そのかわり、そこに描かれた世界は小さくていい。絵の場合は、説明してしまったら面白くない、というところが出発点で、それによって世界を無限に広げている。僕が小説でやりたいのは後者なので、あの羊のシーンを読んだときに、「ああ、これこれ」って思いました。

対談場所/スノードーム美術館 司会・構成/杉江松恋 撮影/丸毛透

 

作品紹介

球体の蛇

幼馴染であるサヨの死の秘密を抱えた17歳の友彦。ある日、彼は死んだサヨによく似た女性に出会う。彼女に激しく惹かれた友彦は、夜ごとその屋敷の床下に潜り込み、情事を盗み聞ぎするようになる。しかしある晩、思わぬ事態が待ち受けていた…。狡い嘘、幼い偽善、決して取り返すことのできないあやまち。矛盾と葛藤を抱えながら成長する少年を描き、青春のきらめきと痛み、そして人生の光と影をも浮き彫りにした極上の物語。

プロフィール

佐藤 江梨子(さとうえりこ)

1981年東京都出身。女優。主な出演作は「キューティーハニー」(04)「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」(07)「すべては海になる」(10)「Night People」(13)など。文筆家としても活躍。2003年に「気遣い喫茶」を上梓。現在、東京新聞で日替わりコラム「言いたい放題」連載中。今年6月に10年ぶりの写真集「es」弊社より発売。

道尾 秀介

1975年東京都出身。2004年、「背の眼」でホラーサスペンス大賞特別賞を受賞し、作家としてデビュー。2007年「シャドウ」で本格ミステリ大賞、2009年「カラスの親指」で日本推理作家協会賞、2010年「龍神の雨」で大藪春彦賞、「光媒の花」で山本周五郎賞を受賞。2011年「月と蟹」で直木賞を受賞。近著に「カササギたちの四季」「水の柩」「光」「ノエル」「笑うハーレキン」などがある。

 

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