アップルの共同創設者の一人であるスティーブ・ジョブズは、禅に傾倒した人物として著名です。ジョブズが師として仰いだのは、乙川(知野)弘文という曹洞宗の禅僧でした。
弘文は1967年にアメリカに渡り、アメリカ初の本格的な禅院である「タサハラ禅マウンテンセンター」の創設を手助けします。その後、カリフォルニア州ロスアトル市にある「俳句禅堂」に住み込んで、禅の普及に取り組みます。
ジョブズが弘文と出会うのはこの禅堂で、1971年のことでした。ジョブズがまだ高校生の頃です。
もっとも、ジョブズが弘文と深く関わるのは1985年以降のことで、この年にジョブズはアップルから追放されています。新たにNeXT社を創設したジョブズは、弘文のもとを頻繁に訪れるようになります。ジョブズはよほど弘文の魅力にとりつかれたのか、弘文をNeXT社の宗教顧問に任命していますし、ジョブズが1991年に結婚した際には、弘文が挙式を取りしきっています。
では、そもそも禅とは何なのでしょうか。
この点について知るには、弘文よりもはるか前にアメリカに渡って禅の普及に汗した鈴木大拙の著作『禅と日本文化』が格好の参考書になるでしょう。
禅は仏教の一形態であり、大乗仏教の教えを信じます。しかし大拙によれば、その仏教は発展するとともに、仏陀の教えの周囲に皮相な見解が堆積しました。これらをいったん取り払って、仏陀の根本精神を直に見ようとするのが、禅だ、と大拙は言います。
そのうえで大拙は、この根本精神こそが「般若(叡智)」と「大悲」だと言います。
般若とは、超越的な智慧のことです。禅によってこの般若へ至ることで、個人的な利益や苦痛に思いわずらわされることがなくなり、大悲、すなわち愛や憐れみの情が自然にわいてくるのだ、と大拙は言います。
ジョブズにみる禅的なもの
ジョブズが弘文や禅からどのような具体的影響を受けたかは未知数です。しかしジョブズの仕事や言葉に禅的な精神を見ることはできます。
たとえば、ジョブズは、不要なものを一切削ぎ落とすミニマリズム精神の持ち主にみえます。その精神は、ジョブズの愛した製品のデザインに遺憾なく発揮されています。
一方これに対して、禅とも関係の深い水墨画について考えてみましょう。水墨画には、減筆体という、できるだけ少ない描線で物の形を表現する手法があります。いわば不必要なものを省いたうえで、物の本質を浮かび上がらせる手法です。
大拙は、この減筆体の態度が、「禅の精神とはなはだ一致している」と述べています。
つまりジョブズが得意としたミニマリズムは、水墨画に表現される禅的な世界観にダイレクトに結びつくわけです。
ジョブズの「省く精神=禅の精神」は、製品ラインにも及びました。ジョブズがアップルにカムバックした1996年当時、アップル製品はマックだけでも10種類以上あり、マック好きでも混乱必至でした。ジョブズはシンプルなマトリックスを用いて、製品をバッサリと4種類に絞り込みました(図参照)。省く精神の面目躍如だと思いませんか?
(※この連載は、今回で最終回となります。ご愛読ありがとうございました。詳しくお知りになりたい方は、『超図解「21世紀の哲学」がわかる本』(中野明・著)をご覧下さい。)
中野 明 (なかの あきら)
ノンフィクション作家。1962年、滋賀県生まれ。立命館大学文学部哲学科卒。同志社大学非常勤講師。「情報通信」「経済経営」「歴史民俗」の3分野をテーマに執筆活動を展開。
著書は『超図解 勇気の心理学 アルフレッド・アドラーが1時間でわかる本』『超図解 7つの習慣 基本と活用法が1時間でわかる本』『一番やさしい ピケティ「超」入門』『超図解「デザイン思考」でゼロから1をつくり出す』『超図解 アドラー心理学の「幸せ」が1時間でわかる本』(学研プラス)ほか多数。
作品紹介
21世紀の諸問題に対面する我々の思考の武器=哲学の「現在」を超図解で鮮やかに解きほぐす。人生論を超えた哲学の本質に迫る。
定価:本体1,200円+税/学研プラス
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