2022年『学研の科学』が復刊! 世界を作っていく子どもたちに贈る、科学がつなぐ未来とは──
『学研の科学』復刊! 編集長・吉野敏弘インタビュー
最盛期には、日本の小学生の約3分の2が愛読し、子どもの好奇心をわしづかみにしてきた、学研の小学生向け学年誌『1~6年の科学』(以下、『科学』)が、この夏ついに復刊する。生まれ変わった、新『学研の科学』は、現代の子どもたちに何を伝え、どう表現していくのか。
編集長の吉野敏弘にその全貌を聞いた。
もくじ
戦後の混乱のなか、教育の現場に寄り添った国民的雑誌『科学』
最盛期には合わせて670万部という驚異的な発行部数を記録した、伝説の学習誌『科学』と『学習』。
戦後日本の学習教材の礎となり、今の学研の根幹を築いたこれらの学年誌は、当時多くの家庭に提供され、子どもたちを夢中にさせた小学生のバイブル的存在であった。
1946年創刊の『学習』(以下、『学習』)に続いて、『科学』は“ふろく付き”の学年誌として1963年にスタート。同年は『鉄腕アトム』のテレビアニメが放映開始され、日米間の衛星中継実験に成功するなど、日本は高度経済成長期がはじまり、翌年には東京オリンピックを控えていた。まさに科学立国「日本」の、成長期にあたる時代でもあった。
当時の小学生たち──つまり今の“団塊ジュニア”世代の中には、毎月のふろくにワクワクしていた人も多かったのではないだろうか。
だが、創刊から約半世紀、2010年に『科学』と『学習』は、少子化の影響などもあり、休刊することとなった。
それから10年以上を経た2022年の夏、装いも新たに『学研の科学』が復刊する。
前に進むために紐解いた「失敗の本質」
新生『学研の科学』編集長である吉野敏弘は、20代のころかつての『科学』に編集部員としてたずさわり、その後『大人の科学マガジン』の編集長をつとめるなど、科学コンテンツに寄り添ってきた人物だ。吉野は『学研の科学』を復刊するにあたり、『科学』休刊の原因、そして、これまでいくどか試みられた復刊企画の頓挫した原因を見つめ直したという。
「『科学』が休刊になったのはぼくらにとって本当に悔しいことでした。だからこそ、『科学』を休刊した後も“子どもたちに科学の楽しさを伝えたい”という思いのもと、旧科学編集部のメンバーは“子ども向けの科学誌”という位置づけで、いくつもの挑戦をしてきました。けれど、思いはあるもののなかなかうまくいかず、何度も失敗を繰り返してきました。その中でぼくらは『科学』が休刊に至った原因にしつこく向き合う必要があると考えたんです」
学習誌を牽引してきた『科学』が、なぜ休刊し、その後の挑戦も失敗に終わってきたのか。それは「編集者が時代に“おもねった”から」だと吉野は考えた。
「『科学』といえば、みなさん声をそろえてふろくが楽しかったと評価してくださいます。日光カメラや顕微鏡、生き物を飼育するふろくなどがあって、実験に失敗した記憶も鮮やかに生き生きと思い出を語られます。ただ、いつの時代だって子どもたちに楽しんでほしいという編集者の思いは変わらなかったものの、年を経るごとに、科学のふろくが玩具やキャラクター商品としての意味付けがされるようになっていき、ふろくは科学の原理を伝える「教材」であるという本質が見えにくくなっていったことが、本来の価値を減じてしまった最大の理由だと考えています」
初期の『科学』や『学習』のふろくは、かなりシンプルなものだった。1965年度の「岩石実けんセット」はケースと石のふろく、1970年度の「解ぼう器セット」は、メスやピンセット、はさみのふろく、といったように。そして、シンプルだからこそ、科学の本質に迫るパワーを持っていた。1973年度に登場し、その後定番の人気ふろくとなった「人体骨格モデル」は、その原型に東京大学の医学部から借りた本物の人骨を使った本格的なものだった。
「人体骨格模型はその精度の高さから人気となり、何年にもわたってふろくに登場しました。
でも編集者というのは、人と同じだったり、ただ繰り返すことに抵抗を感じてしまうので、なにかを変えて新しさを出したくなる。その結果、“子どもたちに人気が出そうな要素”を加味したふろくになっていきました。もちろんシンプルだからいいというわけではなく、ゲーム、キャラクター、まんがなど、間口を広めるためにその時々で子どもたちに人気のある社会性を入れていくのは大切です。けれど、見た目を気にしすぎると本質が伝わりにくくなる場合もままあります。」
徐々に“子どもたちに気に入られる”ふろくへ変化していった結果、1992年度に登場した人体骨格モデルは、海賊の格好をして一輪車に乗った「一輪車 がいこつくん」となった。
なぜがいこつが海賊の格好をしているのか、一輪車に乗せなければならない理由はなにか。科学の本質を伝える教材としての“ふろく”が、いつの間にか子どもたちの“ためになる玩具”へと変わっていった。
かつての『科学』は、一般の玩具と比較される立場へと自らを追いやってしまった。これが吉野が考える『科学』が休刊に至った大きな理由だ。
関連>>>付録の変遷が分かる『科学のふろくギャラリー』
https://www.gakken.co.jp/campaign/70th/furoku/index_1970.html
『科学』創刊時の信念を引き継ぐことが、新『学研の科学』の目標
こうした過去の失敗に向き合ったからこそ、見えてきたものが吉野にあった。
「学研の創業者、古岡秀人の信念は『戦後の復興は教育をおいてほかにない』というものでした。学年誌の『科学』が創刊された頃も、子どもたちに良質な学びや教育を、という想いが込められています。『科学』や『学習』を読んで育った子どもたちが、これからの日本社会を作っていくんだという、壮大な思いがあったと思います。
けれど経済成長して社会の様相が変化していく中で、見た目や楽しさ、科学とは関係のないトレンドや遊びの要素が徐々に幅をきかせるようになって。その象徴が、がいこつくんが一輪車に乗るふろくかなと思います。」
今夏に復刊する新たな『学研の科学』は、1963年創刊時の想いを受け継ぐことを、吉野は決めていた。
「復刊という言い方には、その初期の想いをちゃんと受け継ぎ、科学の原理や本質を伝えるコンテンツをつくっていくというメッセージが込められています。その上で創刊から60年経ったこの2022年というタイミングで改めて『学研の科学』を出したときに、どんなものになるのかを試してみたいと思います。あの“科学の体験”を今を生きる子どもたちに何とかして届けたいという気持ちです。」
第一弾のテーマを「水素エネルギー」と「宇宙」にした理由
そんな想いを心に留めながら作る新生『学研の科学』。その第一弾のテーマは、「水素エネルギー」と「宇宙」。キットは水素をエネルギーとしたロケットである。
「いま、カーボンニュートラルは重要な社会課題となっています。脱炭素をめざす社会で水素はもっとも期待される次世代エネルギーのひとつであり、多くの企業や研究機関が水素に注目しています。
もしかすると今から10年後の2030年には、水素が身近なエネルギーとなっている可能性は十分考えられます。これから大人になっていく子どもたちが考えるテーマとしてふさわしいものだと考え、第一弾のテーマに掲げました」
キットの水素エネルギーロケットは、手回し発電機をぐるぐる回すことで電気を生み出し、その電気を使って水を電気分解して水素を生成。水素を作るという“体験”ができるものにするという。
つくった水素はためて燃料とし、爆発させてロケットを発射する。爆発したあとに残るのは水素と酸素が化合した水だけである。化石燃料も電池も使わずにエネルギーを生み出し、家の中で飛ばせる「水素ロケット」だ。完成品ではなく、子どもが自分で組み立てるのも魅力だ。自分で作るから、仕組みへの興味も自然と湧いてくる。
クリーンエネルギーといえば、世界ではSDGs(Sustainable Development Goals)、つまり持続可能な開発目標のなかで、大切な目標のひとつに位置づけられている。だが、知識として学ぶことはできても、実感をもって理解することは難しい。その理解を助けるのが“体験”である。
「読んで知ることの大切さがある一方で、文字だけでは伝えづらいことがあります。それがキットをつける意味だったりします。百聞は一見にしかずです。自分の手を動かして体験したことは、体が覚えているというか、ずっと忘れられない思い出になったりもしますよね。
それに社会が注目している水素を、ぐるぐる手を動かして自分の力で作り出し、その水素でロケットを飛ばす。大人がびっくりするような実験を、小学生がやっているなんてそれだけでもう爽快ですよね。
体験を通じて科学を楽しんでもらうと同時に、社会課題を解決すべく研究が進められている水素という次世代エネルギーをテーマにすることで、きみたちの未来にはちゃんとした世界が広がっているんだよ、という大人からのメッセージも伝えたいと思います。」
今と未来をつなぐキーワードはもうひとつある。「宇宙」だ。10年後の世界では、子どもたちは今よりも宇宙を身近に感じているはずだと、吉野は言う。
「すでに宇宙関連事業に参入する企業は多いですし、ベンチャーをたち上げて宇宙を目指す若者もたくさんいます。宇宙へ行くこと、宇宙に関連した仕事につくことは、今後ますます現実感が出てくるはずです。この先、可能性が無限に広がっているのが“宇宙”なんですよね。この実験ロケットを通して宇宙が近づいていることを少しでも感じてくれたらいいなと思います。」
科学の体験をさらに拡張するデジタル教材
「水素エネルギー」と「宇宙」という、ふたつのテーマを掲げる『学研の科学』創刊号。水素エネルギーを自分で作り出し、ロケットを飛ばす体験を、子どもたちが楽しんでくれれば、それで成功とも言える。
だが吉野は、その先の道筋も作っておきたいと、さまざまな取り組みを進めている。
「『学研の科学』が扱うテーマは家の中で閉じているもののではなく、その先に社会だったり自然だったり、自分たちが生きている外の世界とつながっているよ、ということも伝えたいと思います。
目の前にある実験ロケットを通して、本物の宇宙ロケットをリアルに想像できたらすごいですよね。
そのために用意しているのが、キットと連携するスマートフォン用のARアプリです」
ARアプリに関しては、例えばキットのロケットにスマートフォンをかざすと、アプリ上でロケットの超改造ができるようになり、工夫次第で宇宙まで飛んでいくロケットができないか現在開発中だという。
「ホームページも通常の商品紹介サイトとは違った使い方を考えています。例えば、組み立て方や使い方、実験の動画などを動画で見られるようにしていくのですが、それが一方通行の説明で終わるのではなく、編集部に直接質問できる場をつくったり、本には書かれていない実験方法を説明したり、読者とコミニュケーションしながら、発売した商品をその後もどんどんアップデートしていきたいと考えています」
読者である子どもたちの中には、もともと科学に興味がある子もいれば、それほど興味を持っていない子もいる。また、キットを組み立てるのが得意な子も、不得手な子もいる。
これまでは、ページ数などの制約があり、どうしても科学に対する興味の“最大公約数”的な部分を狙って製作する必要があったという。興味のある子どもだけを対象にすれば、科学への関心が薄い子どもたちが置きざりになる。逆に、関心の薄い子どもたちを対象とした本作りをすれば、科学への関心が高い子どもたちが物足りなく感じる本になってしまう。
こうしたニーズを自分で選択できるのがWebメディアの強みでもある。科学への関心が高い子どもたちには、より好奇心を満たすサブテキストを用意し、逆に関心の薄い子どもたちには、それに応じた興味を喚起する“入り口”のコンテンツを用意できるのだ。
こうして復刊する新生『学研の科学』では、本質を解説する「本」、実際に体験できる「キット」に加え、本を飛び出した世界観や、さまざまな子どもたちの理解の幅にアプローチするため「Web」をコミニュティとして活用し、「ARアプリ」でキットの「体験」を拡張できるものにしていく。
精度の高い“付録”を生み出す重責の先にある、子どもたちの未来
「本」や「キット」、「コミュニティサイト」や「ARアプリ」という、複合的な展開を準備している、新『学研の科学』。だが、限られたリソースのなか、これらを完成させていくのは簡単ではない。
「水素エネルギーロケットに関しては、いくつもの試作を経て、ようやく完成形が見えてきました。これから一回目の金型が上がってくるので、そこでまた問題が噴出するはずですけどね。『大人の科学マガジン』のふろくもそうなのですが、試作がうまくいっても、量産の設計段階でもうまくいくかはまた別物で、本当に難しいです」
特に難しいのが、試作品で実現できた水素エネルギーロケットの高い精度を、量産機で維持する点なのだという。
「発電機をまわしてつくった気体の水素を、ロケット発射時まで保っていないといけません。でも、水素って元素の中で一番軽いんですよね。とにかく漏れやすい。けれど、漏れないようにフタをきつく設計すると、今度はロケット飛びにくくなってしまいます」
くるくるとまわして生成された水素が漏れず、かつロケット発射のじゃまをしない、ちょうどいい力加減のふたが理想だという。理想に近ければ、ハンドルを回した回数(水素の生成量)とロケットの発射角度が同じ場合に、ロケットはいつも同じ距離を飛行するはずである。
「精度が高ければ、実験で重要な“再現性”が高まります。さっきは、ハンドルを10回まわして発射角を何度にして飛ばしたら、ロケットの飛距離は何メートルで狙いに届かなかった……だから次は15回まわして、目標地点にぴったり着地するように飛ばそう……。そうしたことができるくらいの精度を確保したいんです」
精度へのこだわり。その理由を吉野は
「このキットは、飛べば成功という“玩具”ではなく、科学のおもしろさを伝える“教材”だからです」
だといった。
「科学教材である以上、実験の再現性や客観性が大事です。それがあれば、失敗しても全然構わないんです。『次の実験につながる良いデータが取れたね』というだけで、次やるときにまた仮説を立ててうまくいくように何度も試せばいいんです。失敗は悔しいけど、でもそれは悪いことではなくて、どんどんチャレンジしていこうという探究心が育つような教材にしたいんです」
吉野は、水素エネルギーロケットというキットだけでなく、本やコミュニティサイト、ARアプリなどにおいても、いわば産みの苦しみの最中にある。しかしそんな中でも、今の子どもたちに伝えたいことがある。
「成功に価値があるという考えは正しいと思いますが、成功に至るためには何度も挑戦すること、そして失敗することが不可分です。成功に重きを置くということは、同じだけ挑戦や失敗にも価値があると言わなくてはいけません。それを、子どもたちに伝えたいんですよね」
吉野もまた、今まで挑戦したことのない方法で、水素エネルギーと宇宙を、子どもたちに体感してもらうための教材作りに取り組んでいる。
キラキラした目で手回し発電機のハンドルをぐるんぐるんと目いっぱいにまわし、ロケットを飛ばす、子どもたち。そんな光景を思い浮かべながら、吉野は今日も新しい『科学』の誕生のために汗をかき続けている。
(取材・文=河原塚 英信 撮影=多田 悟 編集=櫻井 奈緒子)
クリエーター・プロフィール
吉野敏弘(よしの・としひろ)
埼玉県出身。1999年に学習研究社(現・学研ホールディングス)に入社。アニメ誌、『学習』『科学』、WEBメディア、図鑑編集部などを経て、現在、『大人の科学マガジン』『学研の科学』編集長をつとめる。