サイボーグという言葉が初めて登場したのは、1960年のことでした。この語は「サイバネティックな有機体(オーガニズム)」からとられた言葉で、人工物と有機体からなるハイブリッドなシステムを指します。ちなみに、サイバネティクスとは、生物と機械の双方について通信や制御の方法について研究する分野のことです。
「人間は生まれながらのサイボーグ」だと主張するイギリスの哲学者アンディ・クラークによると、人類の歴史とは、非生物的なもの、すなわち「道具」を作り出し、自らの能力を拡張する歴史だったといいます。ペンや紙、ナイフといったありきたりの道具でも、それは明らかに人工物です。したがって、それらの道具を使う人間は、クラークに従うと、人工物と有機体からなる、生まれながらのハイブリッドなシステムにほかなりません。
このハイブリッドなシステムである人間のサイボーグ化が、いま著しく進展しています。たとえば、2014年のサッカーW杯ブラジル大会の開会式で、ロボットスーツ(エクソスケルトンや外骨格、パワードスーツともいいます)を着用した下半身不随の障がい者ジュリアーノ・ピントが、サッカーボールを蹴って話題になりました。
このロボットスーツを開発したのは、米カリフォルニアのデューク大学で神経工学を専門とするブラジル人科学者ミゲル・ニコレリスを中心としたチームです。その大きな特徴は、脳から送り出した信号でロボットスーツを操作する点です。つまり開会式に登場したピントは、思考することでロボットスーツを制御して、ボールを蹴ることに成功したというわけです。
思考することでロボットスーツを制御できるなら、同じく思考することで遠隔にあるロボットも動かせるのでは──。確かに動かせます。島津製作所とホンダ、国際電気通信基礎技術研究所(ATR)の3社が共同で行った実験では、リアルタイムで人の脳活動データを収集分析して、このデータをロボット「ASIMO」に伝達します。そして人が念じることでASIMOを動かす実験に成功しています。このような、機械と脳で情報をやりとりする技術を、BMI(ブレイン・マシーン・インターフェイス)と呼びます。
人工物と有機体のハイブリッドなシステムは、このような進歩を遂げています。
世界や他者とのつながりを拡張する
哲学者メルロ=ポンティは、身体は意識とは異なる独自の意志をもつと考え、これを身体図式(身体像)と呼びました。たとえば、足を切断した人が杖を使い出すと、身体図式は自動的に更新され、再組織化されます。これと同じことが、デジタル機器を身につけたり、ロボットスーツを着用したりする人間にも生じるのではないでしょうか。
またメルロ=ポンティは身体を、自分と世界、自分と他者をつなぐ媒体だとも考えました。メルロ=ポンティに従うと、媒体としての身体のサイボーグ化は、世界や他者とのつながりを拡大することを意味することになるのかもしれません。
しかし、人間のサイボーグ化がさらに進むと、どうなるのでしょう。前述のアンディ・クラークは、どのようにサイボーグとして私たち自身を形づくるのかが、真の問題だといいます。また意識の研究者ダナ・ハラウェイは、身体を機械と同等にするテクノロジーは拒否しがたく、人間はすでにサイボーグであり、もはや人間の本質だ、と主張します。
(※この連載は、毎週金曜日・全8回掲載予定です。7回目の次回は5月19日掲載予定です。)
中野 明 (なかの あきら)
ノンフィクション作家。1962年、滋賀県生まれ。立命館大学文学部哲学科卒。同志社大学非常勤講師。「情報通信」「経済経営」「歴史民俗」の3分野をテーマに執筆活動を展開。
著書は『超図解 勇気の心理学 アルフレッド・アドラーが1時間でわかる本』『超図解 7つの習慣 基本と活用法が1時間でわかる本』『一番やさしい ピケティ「超」入門』『超図解「デザイン思考」でゼロから1をつくり出す』『超図解 アドラー心理学の「幸せ」が1時間でわかる本』(学研プラス)ほか多数。
作品紹介
21世紀の諸問題に対面する我々の思考の武器=哲学の「現在」を超図解で鮮やかに解きほぐす。人生論を超えた哲学の本質に迫る。
定価:本体1,200円+税/学研プラス
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