「吉田さん、『野辺山合宿』。行ってみませんか」
「いいですね、行ってみたいです」
「もちろん、そこには真央さんはいませんけど」
「そうですね。しかし…」
「そうです。
「そこには、『浅田真央』の残像がある」
「その通りです。連盟に取材できるかどうかきいてみます。『残像を見に行きたい』といったら、面食らうでしょうけどね。
長野県、野辺山駅。日本最高地にあるというこの駅に降り立つと、7月末であるにも関わらず空気はひんやりとしていた。その野辺山駅から歩いて15分ほどのところに、「帝産ロッヂ」はある。
「帝産ロッヂ」を左に見て、奥に向かって歩いていくと体育館のような建物が見えてきた。その建物の前には、全国津々浦々から来た車が並んでいる。未来の「浅田真央」を目指して、全国からやってきているということなのだろうか。
建物に入ると空気はさらにひんやりしていた。リンクでは、色とりどりの衣装を来た、幼い男の子、女の子が軽やかに舞っている。
信じられない。10歳にも満たない子どもたちが、見事に「フィギュア」を演じていた。黄色い衣装を着た女の子が、音楽が終わってから、数秒後に最後のポーズを決めた。そうか、音楽に合わせて演技を行うこと自体、簡単なことではない。
そんな当たり前のことの発見に喜んでいると、黄色い衣装を着たその子が、リンクから上がるや否や泣き始めているのが目に入った。悔しいのだ。そこは真剣勝負の場。強化合宿といっても次の大会への出場権をかけたいわば予選大会である。
「いい空気を見に来ることができましたね」
「そうですね。まさにこれは試合です」
吉田さんは、リンクに目を向けたまま答えた。野辺山のリンクの雰囲気、選手たちやコーチたちのやりとりを真剣な眼差しで捉えている。おそらく頭の中ではさまざまなイメージを広げているのだろう。実際に見た経験は、イマジネーションを何百倍にも広げる。来た甲斐があったと思った。
野辺山合宿では、リンクの上での演技のほか、リズムトレーニングなどが行われていた。どんなものか。せっかく来たのだから見ておきたい。リズムトレーニングが行われている剣道場に着くと、音楽に合わせて30人ほどの子どもたちが踊っていた。その後ろで見学を始める。
トレーニング終了後、トレーニングコーチから真央さんについて尋ねてみた。
「真央ちゃんですか。覚えていますよ、もちろん。輝いていましたね。動きもそうですし、かわいらしくて、スタイルも良くて、全然ほかの子と違っていました」
この野辺山合宿では、愛知県スケート連盟のKご夫妻との知遇も得た。野辺山合宿でのことだけでなく、愛知県大会での真央さんのことを記憶の限りに教えていただけた。
さらには、この合宿後、愛知県における大会の貴重な資料もご提供いただき、本書巻末の「氷上の軌跡」制作に大いに役立てることができた。
本書は、本当にたくさんの方々のお力添えによってできたのだと、いまこうした形でメイキング・ブログをまとめながら感じます。
(Kさん、その節は本当にお世話になりました!)