第3回 もっとひと括りに言ってしまえば。声も音楽ですし。そういう意味合いで、自由に表現しちゃえばいいのかなあと思って。(style-3! 髙嶋)
道尾秀介(作家)対談 「Jam Session」
道尾:実はこのあいだ、みなさんと対談をさせてもらっている夢を見たんですよ。それで、具体的な言葉は覚えていないんですけど、僕が何かちょっとしたことを言ったら、高嶋さんがものすごく怒って部屋を出て行っちゃうんです。助けを求めて長澤さんのほうを見ると、「今のはお前が悪い」みたいなことを言われて、その隣では堀江さんが、完全に知らんぷりをしている。そんな夢を見たせいもあって、今日はちょっとビビッてたんですよね(笑)
堀江:(笑)。
高嶋:すごいリアルですね(笑)
道尾:もう少しみなさんの曲作りについて伺いたいのですが、効果音をときおり曲に入れていらっしゃいますよね。「自転車ライダ〜」は自転車の音、「青空電車」は遮断機の音、「螢」は花火の音とか。
クリムトという画家がいますが、彼はキャンバスに白い漆喰壁を描くときに、炭酸カルシウムを絵具に混ぜ込んでいるんです。炭酸カルシウムって、本当に漆喰壁の材料なんですよね。それって絵なのか?っていう(笑)。でも、さっきの安定と冒険の話に通じるものがありますが、完全に絵画のテクニックをマスターしてるからこそ、そういった技を使うことができるんですよね。本当の技術を身につけていない人がそれをやると、炭酸カルシウムの力に頼ってしまって、それこそ絵だか壁だかわからない奇妙なものができてしまう。 たとえば「青空電車」という曲で、本物の遮断機の音を入れてしまうというような技巧は、実はけっこう危険ですよね? 「これを入れたから(電車がテーマの曲だということが)わかるだろう」みたいに、一人よがりになりがちじゃないですか。それはたとえば、小説に写真や挿絵を入れるのと同じようなことだと思うんです。効果音を入れるべきか否か、迷いがあったのではないですか?
高嶋:僕らのやっているような音楽は、本来ならばバイオリンとピアノとコントラバスだけで全部を表現すべきものじゃないですか。でも、クラシックでも、そうではないものもあるんです。たとえばチャイコフスキーの……なんだっけ?
長澤:1812年。
高嶋:そう、1812年でも、本物の大砲を当時は使っていたそうです。
道尾:え、コンサートのたびに?
高嶋:はい。コンサートのたびに。
長澤:昔だからね。今なら考えられないです。
道尾:社会問題になりますよね。
高嶋:チャイコフスキーの意思が「大砲を撃て!」だったわけですから。でも、ある意味、音は音なので。花火のボンって音も音楽だし。自転車のチリンチリンも音楽だし。
道尾:ああ、なるほど。そうですね。
高嶋:もっとひと括りに言ってしまえば。声も音楽ですし。そういう意味合いで、自由に表現しちゃえばいいのかなあと思って。クラシックでも、鞭の音とか入れたりしてるんですね。
道尾:聴覚情報だと、綺麗に一体化してくれるんですね、きっと。でも小説に挿絵が入っていると、同じ視覚情報なのに、まったく一体化しないんです。互いに干渉しあってしまって。たとえば漫画なんかだと、絵と文字情報が二つで一つですよね。でも、小説に挿絵を入れるのは、似てるようでまったく違うんです。
高嶋:入れたことは今までないんですか?
道尾:ないですね。表紙にも絶対に人間の顔を描かないでください、っていつも念を押しているくらいです。どうしても、読者がイメージを引っ張られてしまうので。
高嶋:そうですね。そこですよね。どこまでお客さんに明け渡すかっていうのは。そこのラインが難しいんですけど。
もくじ
インストの曲や小説も。白黒写真的なものなんじゃないかなと。(道尾)
道尾:じつは、表紙に人の顔を描いてしまったものは割と売れたりするんです。今はそういう時代なんですね。わかりやすいものは売れやすい。でも、そういう誘惑には負けたくないんです。
そういえば、曲名の話の時に、タイトルでイメージが大きく変わるっておっしゃいましたが、その時に白黒写真のことを思い出したんですよ。インストの曲や小説も、白黒写真的なものなんじゃないかなって。昔聞いた話でですね、誰もその人が男性だとは思わないくらいきれいなゲイの方がいたんですけど、白黒写真を撮られたら一発でバレちゃったというんです。余計なものが取り払われた瞬間、骨格なんかの要素がじかに見えてしまったんですね。インストの曲はすごくそれに似てる気がします。お化粧に当たるのが歌詞だとして、その歌詞がないので、骨格であるメロディーラインがじかに伝わってくる。白黒写真って、見ていると、その人の内面がすごくよくわかってくるんですよね。小説の場合も、映画やドラマと比べて内面が伝わりやすい。余計なものが全部取り払われて、じかに人間の心理が文章化されますし、景色も細かいところまで表しているので。
高嶋:そうですね。今思ったのは、映像だと途中からは観られないじゃないですか。わからなくなってしまうから。でも小説だと、何ページから開いてもなんとなく意味がわかってくる。それと同じで、インストには歌詞が無いから途中から聴いても意味がわかるという面があると思います。なんかその部分も似ているのかな。
道尾:なるほど、そうかもしれないですね。
高嶋:たとえば、僕らはショッピングモールとかでも弾くんですよ。そうすると、曲の途中でも止まってくれます。
道尾:その辺も考えて曲を作られる時ってありますか? たとえば曲の頭から聴く人が何割ぐらいいるのかわからない場所のライブでは、「すごくいいクライマックスが最後に一回だけ来る」というタイプの曲だと、やっぱり人が集まりにくいと思うんですよね。
高嶋:だいたいイントロ、Aメロ、Bメロ、サビっていうのがあるんですけど、どれをとってもちょっと楽しいっていうか、惹きつけるようなフレーズは配置しようかなとは思っています。たとえば歌詞があると、同じコードでも、言葉が良ければ、歌詞が良くて買う人もいるでしょう。でも曲はフレーズとかコード進行でしか表現できないから、単調にはしない作りは心がけていますね。Bメロから聴いてもおもしろいとか。で、苦肉の策で手拍子してもらったりだとか、ジャンプしたりとかはありますけど(笑)、基本はパッと入れるのがいいですね、小説はそこもいいです。パッと開いたところから読める。
道尾:そうですね。文字が読める人なら誰でも楽しめますからね。
一つの仕事が終わると、ほぼ一作書けそうなくらい別のものが出来上がっている(道尾)
道尾:話は変わりますが、高嶋さんは曲を作ってるときにネタが切れるときってあります?
高嶋:朝まで飲んだときとか、もう三日くらい何もやる気にならない時とかあるんです(笑)。人間ですから(笑)。
道尾:なるほど、なるほど。でも、それはスランプとは違いますよね。そういうのはあります? さっきの歌詞の話と重なりますが、言葉が無いと、より難しいと思うんですよね。誤魔化しが利かないというか。
高嶋:毎度毎度、うわーって悩みますけどね。スッと出てきたものがそのまま使えないことが多いので。いいフレーズと思っても。そこから改良して、改良して、改良して。そういう悩みは毎度毎度あります。ただ、まったく生まれない、まったく無い、っていうのはあんまり無いかな。
道尾:それはすごいですね。
高嶋:バラード作っているときは、激しいのを作りたくなっている自分がいたりします。激しい曲や楽しい曲を作っているときには、悲しいものを作りたい自分がそこにいたり。今作っているのと違う種類の曲も作りたいという気持ちは、常にあります。そうやって二、三曲が連動していって、はい一個できた、もう一個できたっていうのはありますね。
道尾:僕もそうなんです。バックヤードに溜まっていくんですよね。そして、溜まっていくのは、今書いてる作品とは絶対に合わないもの。一つの仕事が終わると、ほぼ一作書けそうなくらい別のものが出来上がっています。だから逆に、それが途切れたときが怖いですよね。たまに不安になったときに、いつも思い出すことがあるんです。絵本画家の安野光雅さんがお若い時に、装丁のオーダーを受けて、「できるだけたくさん表紙のパターンを出してくれ」と言われ、十個出して、十五個出して、十六個まで案を出した時に、もう何も思い浮かばない、と思ったらしいんですよ。そのとき、中央線に乗ったら、向かいに人がズラッと乗っていた。その人たちがみんな違った顔をしているんですよね。たとえば目がたくさんあったり、鼻が逆様についている人なんていない。みんな目は二つで、鼻は一つで、口はここに一つとあって、全く同じなのに、こんなに顔が違う。それに気づいたときに、よし、できる、と思ったそうなんです。僕は、今のところまだ本当に不安になったことはないですけど、そうなりそうなときに、この話を思い出すんですよね。
高嶋:その人間の顔の話、いいですね。
道尾:本当に心強くなります。自分の曲はお聴きになりますか?
高嶋:人によってタイプ分かれると思いますが、僕は結構聴きますね。毎週末に演奏しているのですが、それとは別に普通にリスナーとして聴くこともあります。
道尾:僕は自分の小説を読み返すと止まらなくなるので、なるべく読み返さないようにしてるんです(笑)。でもこういう言葉は勘違いされやすくて、ナルシスト扱いをされるときがあるんです。「自分の作品を自分で読んで気持ちよくなってやがる」って。でも、たとえば電化製品を造っている会社の社長さんは、自分のところの製品を使わないと、良さがわからないですし、いいもの作れないですよね。パソコンをつくっている会社の社長さんが「うちの製品は使い勝手が悪いので、自宅では他社のものを使っています」なんて言ったら、そこのパソコンなんて絶対に買いたくない。
高嶋:それはそうですよ。
道尾:自分の料理を食べない料理人が、本当に美味しい料理をつくれるわけがないですよね。だから自分の小説を自分で楽しんで「何が悪いんだ」って思うし、それが貴重なお金を出して小説を買ってもらっている人間の義務だとも思うんだけど。
高嶋:一番愛してあげなきゃいけない人間じゃないですか、その作品を。だから間違ってないと思う。僕も自分の曲を好きです(笑)。じゃないと伝わらないですよね。
道尾:そうですよね。自分が心底から楽しめる、大好きなものじゃないのに、人にお金を払ってもらうとか、そんなに失礼なことはないですよね。
高嶋:そうですね。普通に自分の曲を聴いてウキウキしたりしますよ(笑)。
道尾:あとで変えたくなるときないですか? CDに収録してから。
高嶋:いや、そこはそこで良くて。また次の作品で表現すればいいかなっていうのはあるので。レコーディングが結構大変ですからね。またそれをやるのもってありますけど。
はい。たぶん死んでもやってるんじゃないですかね。生まれ変わってもやってる(笑)。(style-3!高嶋)
道尾:残念ですが、そろそろお時間だそうです。この対談ではいつも、最後に同じことを質問させていただいているんですけど、今のお仕事を一生続けたいですか? ということをお三方に伺ってもよろしいでしょうか。
長澤:僕は、わからないっていうのが正直なところです。
道尾:あ……もしかして微妙な質問でしたか、これ。メンバーの中でも避けている話題だったり……。
長澤:いや。違います、違います(笑)。常に不安なんですね、いろいろ。特に自分は社長業という立場から、純粋に音楽だけでなくそれ以外でもいろいろと考えないといけないことが多いので。自分達だけで立ち上げた会社である分なおさらです。ただ、そういった不安はどんな職業であってもたぶん同じだとは思います。だから一生続けるかどうかって言われるとそんな確証はどこにもない。ですが、飽くまで自分たちが発信している以上は続けていかないと、とは思いますし、続けることによって生まれてくる意義もあろうだろうと思います。いろんな方に僕らの音楽に共感していただいています。そういう方たちに対しての責任はすごい感じてます。これだけ踏みとどまれる音楽というのがあるのだから大切に頑張っていきたいなと思いますね。
道尾:僕、イーグルスが好きなんですけど。先日そのドキュメンタリーDVDを観たんですよね。その中でドン・ヘンリーが「何百回も同じ曲を演奏することに飽きませんか、別のことがやりたいと思うことは無いですか?」という質問に対して「自分を応援してくれる聴衆がいる限り、何回その歌を歌ったかなんて関係ない。ただやるしかないんだ」ってサラッと言いきっていたんです。それに僕もすごく教えられました。僕も似たようなことを感じるときがあるので。読者がいてくれる限り、関係ないんですよね。精一杯やるしかない。すごく簡単で当たり前な事実なんですけど、大御所に言われると、思いも新たになりました。
堀江:私は今、個人でいろいろな仕事をしているんですが、style-3!のお客さんは本当に家族とか親みたいにずっと応援してくださっています。手紙をいただくこともあって、それを読むたびに「辞めるわけにはいかないな」と毎回思います。挫折しそうになったこととか、鬱になりそうになったこととか、手紙で悩みを打ち明けてくれる方が多いんです。「style-3!に出会ったから、今生きていけるんです」とか、私が笑顔で弾いているのを観るたびに「頑張れます」って言ってくださる方とか。ピアノ演奏ということだけで言えば、それはあまり仕事とは思っていないんです。ピアノと向き合うのは、一生やるものだ、という思いがあります。
高嶋:僕は確実に一生やっていきますね。間違い無いです。はい。
道尾:簡潔なお答えですね。
高嶋:はい。たぶん死んでもやってるんじゃないですかね。生まれ変わってもやってる(笑)。
道尾:本当に去年の活躍もすごかったですしね。これからもずっと応援しています。
高嶋:心強いです(笑)。
司会・構成/杉江松恋 撮影/干川修
作品紹介
光
真っ赤に染まった小川の水。湖から魚がいなくなった本当の理由と、人魚伝説。洞窟の中、不意に襲いかかる怪異。ホタルを大切な人にもう一度見せること。去っていく友人にどうしても贈り物がしたかったこと。誰にも言ってない将来の夢と決死の大冒険ーー小学四年生。世界は果てしなかったが、私たちは無謀だった。どこまでも歩いて行けると思っていた。
プロフィール
style-3!
2004年結成。高嶋英輔(バイオリン)、長澤伴彦(コントラバス)、堀江沙知(ピアノ)の3人からなるポップインストユニット。熱いラテン調のものから明るいポップなもの、バラードまであらゆるジャンルを取り入れ、型にとらわれない楽曲で、数々のコンテストでグランプリを受賞している実力派。
道尾 秀介
1975年東京都出身。2004年、「背の眼」でホラーサスペンス大賞特別賞を受賞し、作家としてデビュー。2007年「シャドウ」で本格ミステリ大賞、2009年「カラスの親指」で日本推理作家協会賞、2010年「龍神の雨」で大藪春彦賞、「光媒の花」で山本周五郎賞を受賞。2011年「月と蟹」で直木賞を受賞。近著に「カササギたちの四季」「水の柩」「光」「ノエル」「笑うハーレキン」などがある。