第1回 普段の人間関係の中の立ち入らないようなところとか、そういうものが克明に出ている感じを『月と蟹』からは受けました(河瀨)

道尾秀介(作家)対談 「Jam Session」

更新日 2020.07.21
公開日 2013.04.26
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河瀨直美:私は、小説ではどのように物語の流れを作られるのかに関心があるんです。

道尾秀介:スタートとゴールは、書き始める前からはっきり見えています。それ以外は、だいたいぼやけていますね。書き進めながら、間をつなぐものがだんだんとできていくんです。本を書くときは、いつも倍ぐらいの枚数を書いています。それを1回濾してるんです。映画でいうところの撮影~編集を、毎日やります。前日に執筆したものが、次の日の編集作業で半分ぐらいになる。編集してから続きを書く。だから、倍の量を書くといっても、べつに完成稿の倍の厚さの「元原稿」がどこかにあるわけではなく、「二歩進んで一歩下がる」やり方で密度を高めていくわけです。

河瀨:自分史というか、自分の体験はどのくらい入っているものなんですか?

道尾:具体的な体験はほとんどないですね。小説に作者が顔を出すのは好みではないので。そういうのって、読み手にはバレちゃうんですよ。「あ、コイツ顔出したな」って。

河瀨:じゃあ、『月の蟹』に描かれている秘密基地や、主人公の家族の関係性といったものはどういうところから出てくるんですか?

道尾:感じたことの無い感情は書けないですから、それはもちろん自分の中から出てきたものです。ただ、同じ感情そのものを体験する必要はなくて、感情の「種」だけでも感じたことがあれば、膨らませて書けるんですよ。極論すれば、それができるできないで作家になるかならないかが決まると思うんです。僕はたまたまできたので、小説を書けているんだと思うんですよね。

河瀨:なるほど。

道尾:『月と蟹』なんて、たとえばずっとカメラで主人公を追っても全然面白くない。あれは、ひたすら登場人物たちの感情を追って、そこに謎や葛藤や狂気が生じていくタイプの話なので、視覚的に驚くような出来事はべつに起きていないわけですからね。実際に『月と蟹』を読んで、「最後まで何も起きなかった」と感じる読者もいらっしゃるそうですし。

河瀨:そうなんですか! こんなに、いろいろなことが動いているのにね。(笑)。

道尾:たとえばボクサー同士が膠着状態にあるときに、見慣れてる人だと、目線だとか筋肉のちょっとした動きから、そこで無数の攻防が行われているのがわかりますけど、見慣れていない人には、ただ手を止めてグルグル回っているように見える。わかりやすさを求められると、僕の作品の中だと『月と蟹』なんかは弱いかもしれません。そのかわり、いまだに僕の作品の中で一番好きだと言ってくれる人もいるんですよね。

河瀨:そのボクサーが殴り合っているというのはおもしろい例で、内面のぶれとか歪み、そういうものがものすごく絡み合っていて、そういうのがふっと解ける瞬間が見えたりするんでしょうね。なんやろなぁ。普段の人間関係の中の立ち入らないようなところとか、そういうものが克明に出ている感じを『月と蟹』からは受けました。

道尾:久世光彦さんが以前、「エッセイは自分を隠すことができる。小説こそ自分を白日の下にさらす一瞬がある」というようなことを書かれていたんですね。それには僕も同感なんです。自分の体験を物語に組み込まないようにしているのに、自作を読み返すと「ああ、これは自分の小説だな」と感じます。

河瀨:『月と蟹』の中で印象に残った場面で言うと、主人公たちが「ヤドカリを焼くと願いが叶う」という儀式を始めるでしょう。それは非常に子供だましの幼稚なものにも見えますが、裏では彼らも「そんなことあるはずないじゃん」と感じているように感じられる。そういうものが見え隠れしていると思うんですよね。道尾さんは明確には描かないけれども、次第にそれがわかってくる。さらに男の子たち、慎一と春也の間の葛藤みたいなものがどんどん見えてきます。それが痛々しく、また生々しくて印象に残りました。そこには嫉妬の感情があるし、自分自身の至らなさを味気なく思う感情もあるし、それは、大人になってもあるような普遍的な感情であるわけです。ましてそこに女の子も絡んできて、男の子と女の子の違いみたいなのまでが見えるようになっていく。実は、女の子の方はわりと解決までが早いんですよね。

道尾:ええ。

河瀨:それをサラッとしているように描きつつも、単に時間が早いだけで、実は慎一たちと同じようなものを抱えているのがだんだんわかってくる。

道尾:小学六年生の女の子が読んで手紙をくれたんですけど、「どうして私たちの気持ちがこんなにわかるんですか?」と書いてあったんですよ。すごく嬉しかったです。大人が読んで「意味がよくわからなかった」と言われたことがあるものを、主人公たちと同世代の人が読んでわかってくれた。それが一番の自信になりました。さっきおっしゃった、目に見えないいろいろな葛藤の、細くて細すぎて見えないくらいの糸が無数に張り巡らされてるところを、すんでのところで避けながら、避けながら、完結に向かっていく話なんです。その糸が見えないと、なんでこいつらはこんなに妙な動きをし続けているのだろう、と思ってしまうかもしれません。それはよくわかります。でも、だからといって、その糸を蛍光ペンで塗って見やすくしたら台無しになってしまうんです。

河瀨:その細い細い線みたいなのが、お母さんやお父さんの大人の側にもあるんでしょうね。読者の大半は大人でしょうから、子供の視点から見える大人の側の葛藤が描かれるのは興味深いはずです。私は、登場人物の中でもじいちゃんがすごいと思います。じいちゃんの中にも、生涯を賭けた何か葛藤みたいなものがあるわけで、それを慎一に伝えていこうとしているんですけどね。それが、なにかしらは届いてるのか? くらいの感じの、微かなもので。しかし確実に私にはグサグサ刻まれる部分でした。

僕は生身の人間とたくさん触れ合って、いろんな感情を持つほうがいい小説を書くためには大事だと思うんです(道尾)

道尾:あの、これは言い方が非常に難しいんですが……河瀨さんの作品も、わからない人、たぶんいっぱいいますよね。

河瀨:そうそう。映画を観て「あの人たちはどういう関係?」って(笑)。

道尾:何が撮られているかはわかるけど、何を撮ろうとしたかはわからないという人が、かなりの数いると思うんですよ。だけど、そこでショーマンシップを発揮されない河瀨さんの作品が、僕は好きなんです。説明しようと思ったら簡単ですもんね。たとえば字幕を入れちゃうとか(笑)。

河瀨:私、今年カンヌ(映画祭)の審査員をしましたけど、今はコンペの作品でも普通にクレジット入れますよ。葉っぱが散って、ゴツゴツとした枝が出てればわかるのに「2001年 winter」とか出ちゃったりする(笑)。それは元になっているのはテレビ映画なんだろうなぁ、って思いました。今年、本当に自分が「すごい」と思った作品は、パルムドールを審査員の満場一致で獲得したんですけど(※1)、そういったテロップはまったくない。でも時間が克明に描かれていたんです。だいたい斜めのオレンジの光っていったら、夕方でしょ?「夕方に何を思って、私はあそこに佇んでいたんだろか、かつて」というのは、すべての観客の中に想い出や経験としてあるはずなんですよ、それも一人で佇んでいるのか。恋人同士で佇んでいるのかでまったく違う。そういう感覚は日常の中に、みんなある。そんな「みんなの中にある感覚」を信頼できないのは、表現を「わかりやすさ」優先にしてしまった結果なのかと思いますね。まったくそういうのを取り払って「記憶」と共に対象と向き合えば、グサグサくるはずなんです。

道尾:そうだと思います。たくさん本を読まないと作家になれないと考えて、それを実践している人も多いようですけど、僕は生身の人間とたくさん触れ合って、いろんな感情を持つほうが、いい小説を書くためには大事だと思うんです。見えるものでも見えないものでも、とにかくいろんな景色と向き合ったほうがいい。

河瀨:そうでしょうね。

道尾:『萌の朱雀』(1997年)には映画版のほかに小説版がありますよね(幻冬舎文庫)。ストーリーは同じですけど、まったく別の芸術作品として、どっちも好きなんです。実は、小説家以外の方が小説を書いたとき、うまくやられるとイヤなものなんですよ。商売仇になるから。

河瀨:(笑)。

道尾:でも、そういうのはまったく『萌の朱雀』は感じなかったんですよね。まさに肌で感じるいろんな経験をされている方、いろんな景色を見た方だからこそ書ける小説だと思いました。たとえば、炊きたてのご飯にしゃもじを入れたとき、ジュッ、と音が鳴るシーンなんかも、想像では絶対に書けない。音だけを覚えておくことは不可能ですし、それにまつわる何かもっと大きなものを「ジュッ」っていう、カタカナ三文字に凝縮させているんだろうなぁって思ったんですね。

河瀨:「萌の朱雀」の小説は担当の方にうまく誘導していただきました。「自分がみちるになって、彼女の人生を生きたつもりで書けばいいんだよ」って。そう言われたときに道が開けて、そのまま自分がみちるになって、その感情の中で書けたんですね。だから最初の人物説明のところとかは、本当に稚拙だなと思うんですけど、いったんみちるになってからは、どんどん書いていけました。

道尾:驚いたのが、そこから先の文体が、映画の文体と同じなんですよね。映画で言うところの「文体」って、たとえばカメラワークだとか、尺の取り方だとか、台詞のボリュームだとか、空気の色だとか、そういうのを含めたもののことですが、それが文章と一致しているように感じました。

河瀨:不器用なんですかね、なんかこう(笑)。1つのものを見ていたら、それしか見えなくなるんです。特に『萌の朱雀』のときは母校の専門学校の講師も辞めて、自分の時間だけはすべて捧げることができる状態だったんです。見るもの、聞くものを『萌の朱雀』のために全部入れて、足掛け2、3年かな、ずーっとコツコツとやってきて、やっと世に出たという感じなんです。それでも映画の中には残さず、こぼれ落ちたものもたくさんありました。小説版は、自分がみちるになってそれが見えるようになったというか、もう一度追体験して書いたようなエピソードがいっぱいあるんです。ドキュメンタリーと比べると、フィクションの場合は落とすものがいっぱいあります。そこでもう一度そこにあるものと関わりながら、文章にしたり、ドキュメンタリーにしたりして、もう一回構築し直しているんです。記憶っていうのは本当に曖昧で、時間が経てば褪せていきます。それを残したいって欲望があるんでしょうね。

(※1)2013年パルム・ドール(最高賞)はアブデラティフ・ケシシュ監督の『アデル、ブルーは熱い色』が受賞した。

僕もいまだに、まっさらの状態から立ち上げていくときに、必ず真っ白な紙に鉛筆一本でフリーハンドで書いていくんです(道尾)

道尾:河瀬さんは、メモは取られるほうですか。

河瀨:はい。普段から、書いて残しています。最近はiPhoneとか電子的なものでピピッとメモできるようになったけど、『萌の朱雀』のころの、思ったことをペンを持って書く、撮ったものをプリントして貼るっていう作業がいかに大事だったかということを今思っています。濃さが違う気がして。

道尾:今も手書きでやられていますか、メモは。

河瀨:できるだけ手書きします。電子的なものをあまり信用していないということもあるんです。携帯も一応持ってますけど。実は、カンヌから戻って今回の現場に入った時に、iPhoneを海に落としちゃったんですよ。スピルバーグと撮りあいっこした映像も、ニコール・キッドマンとの2ショットもすべて失った(笑)。

道尾:ああー……!

河瀨:それで30秒だけ固まりましたけど、すぐに「ま、いっか」って思ったんですよね。それぐらいあまり重要じゃないんだなって。でも「萌の朱雀」のころ、車上荒らしにあって、自分のノートを盗られちゃったことがあったんですね。それは本当に痛かったです。なんか自分の筆跡を盗られてしまったようで。

道尾:僕もいまだに、まっさらの状態から立ち上げていくときに、必ず真っ白な紙に鉛筆一本でフリーハンドで書いていくんです。矢印を引っ張ってみたり、細かい字で書いてみたり、大きく○をつけたり×をつけたり、アンダーラインを引いたりして。そこをデジタルにしちゃうと、書き上がった原稿が、打ち込みの音楽みたいなものになってしまう気がするんです。いいメロディが作れても、息遣いが聞こえないものになりそうで怖い。

河瀨:外国で「小津の再来」って言われたことがあるんです。『萌の朱雀』のころです。誰かに似てるというのはよく言われるんですけど、そのたびに「私は自分を育ててくれたおじいちゃんとおばあちゃんから影響を受けてます」って言ってます。でも、あんまり記事にはしてもらえない(笑)。

道尾:記事にはしにくいでしょうね(笑)。

司会・構成/杉江松恋 撮影/干川修

作品紹介

月と蟹

海辺の町、小学校の慎一と春也はヤドカリを神様に見立てた願い事遊びを考え出す。無邪気な儀式ごっこはいつしか切実な祈りに変わり、母のない少女・鳴海を加えた三人の関係も揺らいでゆく。「大人になるのって、ほんと難しいよね」-誰もが通る”子供時代の終わり”が鮮やかに胸に蘇る長編。直木賞受賞。

プロフィール

河瀨 直美

映像作家。生まれ育った奈良で映画を撮り続ける。1997年、初の劇映画「萌の朱雀」でカンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)を史上最年少で受賞し、鮮烈なデビューを果たす。その後、2007年に「殯の森」で同映画祭にてグランプリ受賞。2014年カンヌ映画祭では日本人監督として初めて審査員を務めた。2010年から2年に1度開く「なら国際映画祭」ではエグゼクティブディレクターとして奔走する。現在、最新作「2つ目の窓」(2014年夏公開)を製作中。

道尾 秀介

1975年東京都出身。2004年、「背の眼」でホラーサスペンス大賞特別賞を受賞し、作家としてデビュー。2007年「シャドウ」で本格ミステリ大賞、2009年「カラスの親指」で日本推理作家協会賞、2010年「龍神の雨」で大藪春彦賞、「光媒の花」で山本周五郎賞を受賞。2011年「月と蟹」で直木賞を受賞。近著に「カササギたちの四季」「水の柩」「光」「ノエル」「笑うハーレキン」などがある。

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