先ほどもお話したように、心が何かに惹かれるというはたらきは『心がそこに愛情を感じとる』ことから生まれるものです。
しかし、何から、どのように愛情を感じとるか——どうしてそれに愛情を感じるのか——ということを、わたしたちは知りません。ほかでもない、自分の心に起こっていることであるにもかかわらず!
そしてときには、自分でも思ってもみなかったものや人に惹かれている心に気づくこともあるものです。
そう、愛情を感じるものに自然と惹かれるというはたらきを心がもちあわせている限り、わたしたちは、頭で“これが理想”としているものとは違うものに心が惹かれるたびに、びっくりしなくてはいけません。
頭で考えれば、心が惹かれるものは自分にそれほど利益をもたらさないものだということは、なんとなく予想がつくことが多いものです。
だから「やめておけ」と頭は言うけれども、心はそれを聞いてはくれません。
まるで3歳の子どものように心惹かれたそのものを指さして、まるでナポレオンのように力強く——
——と言って聞かないことがしばしばです。
頭「どーしても?」 心「どーしても!」
頭「どーしても?」 心「どーしても!!」
頭「どーしても?」 心「どーしても!!!」
心が何百回目かにそう答えた、そのときに——
そんなにいうならわかったわ!
こうして、わたしたちは目覚めます。大人になった今もまだ、自分のちからではどうにもならないことがあるということを——自分にすら抑えたり、やめさせたり、ストップさせたりすることができないものが自分の中にあることを知ることで。
それはつまり、自分が自分を超えた何かによって生かされているのかもしれない、ということを感じる瞬間であるのかもしれません。
愛することによって、自分よりも大きなものがあったということを思いだす。
それらの前にあっては、どんなに大人になった自分も3歳の子どもと同じだということを思いだす。
それが、何かを欲しいと思うことや夢みるきもちを抱くことの、そういうものを抱かされることの、ほんとうの意味ではないかと思うのです。
このように考えてみると、そうせずにはいられない、そのためにうごかずにはいられない、“どうしても”“絶対に”“やっぱり”そのことを思わずにはいられない“圧倒的な引力”で、あなたを引っぱるものの中には、とてつもない愛情が含まれていることがわかります。
そして、その中に“愛情”を含ませたのは、わたしたちではなく、それを超えた運命であることも。
だから、そんなふうにわたしたちの心を強く引っぱるもの——つまりあなたが心惹かれるもの、夢みることを、こんなふうに呼んでいきたいのです。
運命の夢
上原 愛加 (うえはら あいか)
エッセイスト。著書は100万部を超えるベストセラーシリーズとなり、その生き方は様々な世代の女性から絶大な支持を得ている。
■オフィシャルブログ
http://ameblo.jp/funwari-maroyaka/
作品紹介
運命の夢はかならず、叶う
ときめきの風に運ばれて、ここからすべてがうまくいく!
「自然の力」に委ねると奇跡が起こる。すべての女性が「夢は絶対に叶うと決まっている」ことを信じて歩むための生き方指南本。
定価:本体1,300円+税/学研プラス