長谷川先生 1955年 小学校3年生

星野富弘『詩画とともに生きる』セレクション

更新日 2020.07.21
公開日 2015.08.18
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 小学校三、四年の担任は、長谷川という女の先生だった。身体があまり丈夫でなかったようで、よく授業を休み自習が多かった。四年生のある日から突然学校に来なくなり、若い代理の先生に教わったことがあった。長谷川先生が、なぜ何か月も学校を休んだのか、私にはわからなかったが、今思うと産休だったのかもしれない。授業をしていて気持ちが高ぶってくると、持っているもので机を叩くので、割れやすい竹の物差などが犠牲になった。
 おっかない顔をした絵だが、ほんとうは、もっと若くてきれいな先生だった。描いたときは下手だなぁと思っていたが、今見ると竹の物差しで教壇をたたいた時のビシッという音が聞こえてくるようだ。
 長谷川先生には、よく肩揉みをさせられた。学校では暴れ盛りの私たちの世話、家に帰れば家事や赤ちゃんの世話で疲れ切っていたのかもしれない。

 最初はその場にいた生徒を適当に選んでやらせていたが、私の指に力があって一番効くといって、いつの間にか、私ばかり指名されるようになってしまった。授業の間の短い休み時間も先生の肩揉でつぶれ、放課後、家に帰ろうとしていると保健室に呼ばれて、長い時間、揉まされたこともあった。
 いやいやながらだったが、何度もやっているうち、私も先生の肩のどこが辛いのかがわかるようになり、そこをよく揉んでやると、先生はとても喜んでくれた。
 こんなに先生に奉仕したのだから、少しは私に目を掛けてくれてもいいのにと思ったこともあった。悪いことをすればみんなと同じに叱られた。成績にも手心を加えてくれなかったが、私は長谷川先生のそういうところが好きだった。
 肩を揉んでいると、長谷川先生は何度も同じことを言った。
「富弘君は肩揉みがうまいね。お母さんにもやってあげているのかしら」
 私は母の肩を揉んだことも叩いたこともなかった。ケガをして長い入院生活をしていた時、私のベッドの横の固い床に寝泊りしながら、世話をしてくれる母の、肩こりに苦しむ姿を目の当たりにしたとき、長谷川先生の肩を揉んで褒められたことを思いだした。
「そうだ、俺は肩揉みがうまかったんだ」
 しかし腕が動かないし、でも、もしもこの腕が動いたら、一番最初に「母の肩を叩かせてもらおう」
 そして、ぺんぺん草の詩を書いた。

星野 富弘 (ほしの とみひろ)

1946年 群馬県勢多郡東村に生まれる
1970年 群馬大学教育学部体育科卒業。中学校の教諭になるがクラブ活動の指導中頸髄を損傷、手足の自由を失う
1972年 病院に入院中、口に筆をくわえて文や絵を書き始める
1979年 前橋で最初の作品展を開く。退院
1981年 雑誌や新聞に詩画作品や、エッセイを連載
1982年 高崎で「花の詩画展」。以後、全国各地で開かれた「花の詩画展」は、大きな感動を呼ぶ
1991年 群馬県勢多郡東村(現みどり市東町)に村立富弘美術館開館
1994〜97年 ニューヨークで「花の詩画展」
2000年 ホノルルで「花の詩画展」
2001年 サンフランシスコ・ロサンゼルスで「花の詩画展」
2004年 ワルシャワ国立博物館での「花の詩画展」
2005年 (新)富弘美術館新館開館
2006年 群馬県名誉県民となる
2010年 富弘美術館開館20周年 富弘美術館の入館者600万人
2011年 群馬大学特別栄誉賞(第一回)
現在も詩画や随筆の創作を続けながら、全国で「花の詩画展」を開いている

 

作品紹介

詩画とともに生きる

怪我をして手足の自由を奪われた中で、字を書き、絵を描き始めて、ついには詩と絵を融合させた詩画という世界を確立させるまでの過程で、絵といかに向き合い、生きる希望をつないできたかを絵の変遷をたどりながら、創作への熱い思いを語りつくした1冊。

定価:1,400円+税/学研プラス

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