松本隆インタビュー 『冬の旅』リリースに寄せて<前編>

松本隆インタビュー『冬の旅』リリースに寄せて

更新日 2020.07.17
公開日 2015.02.12
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日本語によるロックを追求し、その後の音楽シーンに多大な影響を及ぼした伝説のバンド“はっぴいえんど”のメンバーとして、また、歌謡曲全盛の時代にお茶の間に届けられた数々のヒットソングに歌詞を提供した作詞家として活躍した松本隆さん。彼が1990年代から始めたもう一つの仕事に、クラシックの代表的な歌曲の日本語訳詞とCDプロデュースがある。

このたび、発売される『冬の旅』は、松本さんが1992年に初めて日本語訳を手がけたシューベルトの「冬の旅」を、新たな歌手とピアニストで録音し直し、新たな生命が吹き込まれたものだ。昨年12月某日に行われた貴重なレコーディングの現場を訪れ、日本語としての「冬の旅」の歌詞についてや、はっぴいえんど時代から一貫するテーマ、今回のプロジェクトに秘められた思いなどを語っていただきました。 前編・後編にわたってお送りします。

―――「冬の旅」は、シューベルトがヴィルヘルム・ミュラーの詩に曲をつけた連作歌曲集です。松本さんがその原詞を日本語の詞にしたCDを最初に発表したのが1992年でした。当時は松本さんがクラシックの仕事を手がけたことに驚かれた人も多かったと思うのですが。

 

松本:当時は、おそらく僕がこの仕事をやって世に問えば、半分くらいは拒否反応を示すだろうなと思いました。それも計算のうちではあったんですが、結果的には反応があったうちの7割くらいは好意的に受け入れてくれました。でもそのうちCDも廃盤になって、このまま忘れられちゃうなと思ってたんですけど、10年、20年と経つと、今度は「松本さんの日本語訳で歌ってもいいですか?」と聞いてくる人がポツポツ現れて、ここ1、2年そういうコンサートが重なったりしたんですね。

 

―――いつの間にか「冬の旅」に松本さんの日本語の詞が定着してきたと。

 

松本:僕の場合は、はっぴいえんどというロックのバンドから始まって、これも廃盤になってはまた再発されという繰り返しで、また今度も出るんだけど(2014年12月26日発売の『はっぴいえんどマスターピース』)、全然終わりが無いわけ。作詞家として手がけた歌謡曲も、本来はヒットしたら3カ月で忘れ去られるべきものなのに、みんな覚えてるわけでしょ。聴いている人の幼少時代と結びついていて、「小学生のとき聴いて育ちました」とか言われちゃう(笑)。そうなると僕の作品が云々じゃなくて、もうその人のものだよね。それが国民の何割かいるとしたら、それはほんとにすごいことだけど、それと同じことが、多分クラシックでも起きるんじゃないかと思っています。そうしたら今のクラシック業界のあり方も変わるんじゃないかな。

 

―――今回は再発ではなく新たに録音をされるわけですが、日本語の詞は以前と変わらないとうことですか?

 

松本:そうですね。

 

―――それはやはり、松本さんが手がけた訳詞が、翻訳や対訳とは違うからでしょうか? つまり、例えば古典の翻訳となると、時代によって訳文を改訂したり、いわゆる日本語としての耐用年数があると思うんです。そうではないとすれば、松本さんの日本語訳のお仕事は、歌詞を書くのに近い意識だったのかなと。

 

松本:厳密に言うと翻訳ではないと思います。平たく言うと、ドイツ語を外して残ったメロディに合わせて、大意をもとにしながら日本語で詞をはめ込んだという感じかな。シューベルトがミュラーの詩に曲をつけたのと反対に、曲先で歌詞をつけたのに近い感覚。耐用年数ということで言えば、僕の詞は異常に長いんです。はっぴいえんどから40年経ったけど、歌詞が「古い」ってまだ面と向かって批判する人はいないからね(笑)。新しい・古いはまったく超越してる。だから今回も改訳は全然考えなかったし、少なくとも僕が生きている間はこの「冬の旅」は持つと思っています。

 

「日本の詩の先生たちってみんなさすらいの人だよね。」

―――松本さんの他の作品の歌詞と同じく、情景が立体的に浮かび上がってきます。

 

松本:対訳を見ながらドイツ語で聴いてると、やっぱりどこか脳の余計な部分を使って面白さが半減してしまう。だから詞で3Dを目指したんです。日本語ですっと頭に入ってきて、心ですぐ反応できるものにしたつもりです。

 

―――「冬の旅」の主人公は、悲嘆にくれて、死を唯一の望みにするように彷徨い続けますが、「さすらう」という言葉が繰り返し出てくるのが印象的です。

 

松本:以前、テノール歌手のエルンスト・ヘフリガーから聞いたんだけど、ヨーロッパの歌の原型は「羊飼いの歌」だと言うんですよね。もっと古くは中東やイスラムの人が歌ってたんだと思うけど、牧羊は定住しないから、シューベルトのさすらいは先祖帰りともいえる。じゃあ日本はどうなんだろうって考えたら、やっぱり農耕民族だから雨乞いになるんです。基本は定住するから、移動する人たちはちょっとおかしな人、異邦人っぽくなるんですよ。僕はどちらかというと、そのさすらう方に感情移入しやすい人間で、西行、芭蕉、良寛……、日本の詩の先生たちってみんなさすらいの人だよね。

 

―――松本さんにとっての重要なキーワードにも「風」があります。

 

松本:「風をあつめて」も散歩の歌です。移動する歌だからね。視界も、視点も移動している。今、東京を離れて神戸という地方都市に住んでいるのも、僕は東京で生まれ育ったけど、東京は仕事をする街であって、還暦過ぎて仕事がなくなると、そんなにいる必要がない街になっちゃったから、動いた方がいい。自分に足りないのは漂泊だろうと(笑)。そういう意味も重なるよね。

 

―――一般的には、松本さんはロックをやって、それから作詞家になって、今度はクラシックに行ってというふうに変化しているという見方もされるかもしれないですけど、実は関心のあるテーマは変わってないと。

 

松本:外部との接触の仕方、ジャンルが変わってるだけであって、僕の内部は何も変わってないですよ。ジャンルなんてその都度自分にあったものを選べばいいわけで、僕は一貫してるんです。だからこのシューベルトも、翻訳をやりたかったわけじゃなくて、自分の内的な動機がその曲に合うから、それに日本語の詞をつけただけなんです。

<後編につづく>

【インタビュー・文:小林 英治】

「冬の旅」発刊記念コンサート
■プログラム:松本 隆によるトーク&詞の朗読/「冬の旅」全曲演奏
■日時:2015年3月22日(日) 開場 13:30/開演 14:00
■出演:松本 隆/鈴木 准(テノール)、三ツ石潤司(ピアノ)
■会場:トッパンホール
■料金:全席指定 6,500円(税込)

■お問合せ:キャピタル・ヴィレッジ 03-3478-9999

チケット発売中

松本 隆 (まつもと たかし)

東京青山生まれ。中・高・大と慶応義塾で過ごし、在学中に伝説のロックバンド「はっぴいえんど」を、細野晴臣、大滝詠一、鈴木茂と結成し、ドラムスと作詞を担当する。 同バンド解散後、作詞家として太田裕美、松田聖子をはじめ多数のヒット曲を手がける。’81年、寺尾聰「ルビーの指環」で日本レコード大賞作詞賞を受賞する。 また、ロック・ポップス等のジャンルを超えて、その活動範囲を広げ、シューベルトの歌曲「冬の旅」「美しき水車小屋の娘」の現代口語訳を発表、好評を得る。 また、オペラ「隅田川」、詩篇交響曲「源氏物語」や、’12年「古事記」を題材に、口語体の作詞を施した「幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)」を発表し、レコード大賞企画賞を受賞するなど、内外の古典にも憧憬をもって取り組んでいる。

 

作品紹介

冬の旅

作詞家、松本隆訳詩によるシューベルトの歌曲集「冬の旅」。音楽活動45周年となる2015年、新進気鋭のテノール歌手、鈴木准による歌で新規録音。美しい詩集をあわせたCDブックとして発売。クラシックファン、松本ファン待望のシリーズ。 松本隆・訳 鈴木准・テノール 三ッ石潤司・ピアノ 定価:3500円+税 (2月24日発売予定)

 

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