本物の能力者が発した言葉で甦った 私の前世

神光幸子『あなたの主護霊が導く幸せな生き方』セレクション

更新日 2022.11.02
公開日 2016.02.12
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 現在、私は神様の通訳者として、いろんな形で見えない世界のメッセージをお伝えしているわけですが、ここで改めて霊媒という存在と、私自身の前世について話をしておきたいと思います。

 世の中には、霊を仲介する霊能力者やチャネラーと呼ばれる方々がたくさんいますが、神様レベルの存在(御霊)を仲介できる人は、そうそういるわけではありません。
 そこでまず、あの世がどうなっているかを説明しておきますね。
 私たちがいるこの世界を3次元とすると、霊界は4次元、いわゆる天国と呼ばれているところです。
 そしてその間に、天国に行けていない霊がいる3.5次元があります。
 さらにその下には、地獄と呼ばれる世界も存在しています。
 一方、神様のレベル(神界)は、4次元よりも上の5~6次元以上の世界です。
 ちなみに、霊能者や霊媒と呼ばれる人たちの多くは、まだ天国に行けていない3.5次元や4次元の霊の声を伝えることが多いため、霊能者が言うことだからといってすぐに信用しないほうが賢明です。
 みなさんご存知の守護霊は、4次元から5次元レベルにいる魂です。ついていない人もいれば、10人くらいついている人もいて、人それぞれです。
 よく、お祖父さんなどが守護霊でついていてくれているという話を聞いたことがあるかと思いますが、これは、この世にいる子孫などが気になるので傍について護ろうとしてくれているのです。
 このようなご先祖様やその他の守護霊は、必ずしも3次元の人間に一生涯ついていてくれるとは限りません。
 職業を司る指導霊や、龍神や天使などの自然霊の場合も同じです。やはりついたり離れたりしています。
 でも、どうぞご安心ください。
 実は、誰にでも一生涯ついてくれている「主護霊(様)」という存在がいるのです。
 主護霊は、その人の前世も熟知していて、生まれる前から約束をしているので、今世でもどんなことがあってもその人から離れることなく、死ぬまでついていてくれます。
 当然ながらその人の性格や性質もわかっていて、やってきたこともすべて知っているので、その人の魂の成長を見守りながらその人にあった方法でよりよい方向に導いてくれています。
 3次元の親が子供を育てるのに似ていますね。
 主護霊は、必ず一人につき一体(柱)ついていて、何回も何回も守護霊の体験を積んだ5次元以上(神界)の御霊です。
 つまり、ご先祖様のように近い存在ではなくて、もうとっくに人間を卒業しているレベルです。なので、私は主護霊様のことを神様と呼んでいます。
 その神様によると、主護霊レベルの仲介ができる人はかなり限られるそうです。
 ようするに、ひとくちに霊媒やチャネラーといっても、3.5次元や4次元の霊を仲介する人と5次元以上の神様のメッセージを伝える人がいて、それぞれ役割が違うということです。
 次に、私の前世についてお話します。
 なぜこの話をするかというと、神様に仕える覚悟を決めた私がこの世において成すべきことと深く関係しているからです。
 長年にわたって神様と対話をしてきた経験から、私は霊界を仲介している霊能者と、神界とつながっている神様の通訳者との違いが一目でわかります。私が知る限りでは、日本国内で本物といえる能力者はごくわずかしかいないと思います。
 数年前、世界的にも名が知られているある海外のサイキックチャネラーで、「この人は本物だ」と思える方に個人セッションを受けたことがありました。
 その時そのチャネラーから、私の前世について、「あなたの実家の前にある神社にまつわる伝説の女性と深い関わりがある。あなたの前世はその女性です。その神社に行けばわかる」といわれました。
 さらに「あなたの実家とその神社は今は離れてしまっているけれど、あなたはそれを再びつなぐ役目があります」と意味深長な言葉をかけられました。

 この言葉がきっかけとなって、その後、私の中で前世の記憶がとてもリアルに甦ってきたのです。

菅原道真公を陰で支えてきた巫女

 初めは、「伝説の女性って誰だろう? そんな女性いたのかな」と思いつつ、実家の前にある北野天満宮について調べたところ、菅原道真公ととても関係が深い多治比文子(たじひのあやこ)という女性がいて、彼女を祀ったお宮があることを知ってとても驚きました。

 その文子天満宮は、北野天満宮の北門のすぐ手前、つまり私の実家と神社の塀を境にして真向かいに位置していて、そこは私が毎日のように通っていた場所だったからです。
 北野天満宮内の文子天満宮を写した写真には、私の実家が小さく写り込んでいて、それを見た瞬間、私の中ですべての謎が解けて、全身にものすごい衝撃が走りました。
  「あぁ、この女性が私の前世だったのか!」と。
 北野天満宮と神光家の関係については知っていたものの、こんなにも近くに“伝説の女性”がいたとは……。
 あまりの衝撃で腰が立たず、ぽかーんと口が空いたまま2時間ほど放心状態になったほどです。

 そして、それまでは気にもとめていなかった多治比文子さんという人物について改めて調べてみたところ、次のような由緒書きが残されていました。

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◆多治比文子◆
生没年不詳。平安時代の巫女。北野天満宮の創祀者。平安京の右京七条二坊十三町の住民。天慶5(942)年に天神(菅原道真の神号)は文子に都の辺の右近馬場のある北野に社殿を構えて祭祀すべきと託宣した。しかし身分の低かった文子にはこれは容易ではなく、とりあえず自分の邸内に仮の叢祠を作り祭祀した。5年後の天暦元(947)年にようやく北野に移建した。同9年には近江(滋賀県)比良の神職神良種の7歳の子にも託宣があったのを契機に、朝日寺の僧最珍(鎮)らと共に力を併せて霊祠を造営した。

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 このように公式的な記録によると、道真公が亡くなられてから40年近く経った後、道真公が夢枕に現れて、現在の北野天満宮の地に祀るよう託宣を受けたとされています。

 つまり、北野天満宮ができるきっかけをつくったのが文子さんだったわけですが、文子さんについては2つの説がありました。
 一つは、菅原道真公の乳母を務めていたという説。
 もう一つの説は、幼い子供(童女)だったというものです。
 ところが、もし文子さんが道真公の乳母であったなら、年齢的につじつまが合いません。
 また、仮に幼女であったとしても、北野天満宮に祀るまでの間、「自分の家の庭に小さな祠(ほこら)をもうけ、道真公を拝んでいた」という記述とは矛盾します。
 幼い子供がそのようなことを成し得たとは考えにくいからです。
 いずれにしても、歴史上の真実は不明なので“伝説の女性”となったのでしょう。
 私の中で甦った記憶によると、文子さんは当時、誰よりもすぐれた巫女として、無念の死を遂げた道真公の御霊を神界に上げられた方です。
 歳は10代後半から20歳ぐらいで、道真公の乳母でも幼女でもなかったはず……。
 もちろん、これは私の魂の記憶なので、客観的な裏づけはできません。

 しかし、道真公と文子さんの当時の記憶が次々と鮮明に思い出された後で、神様(守護神)となった道真公と何度か交信させていただく機会を得たのも事実です。

 

神光 幸子 (かみみつ さちこ)

書や学問の神さまとして「菅原道真」がまつられている京都の北野天満宮の社家の娘として生まれる。
神光という名は、現在日本に一軒しかない姓で、神光家は、十二代景行天皇の子孫であり、菅原七家として北野天満宮の初代(1000年以上前)から宮司を勤める。
幼少の頃から霊的であったり、不思議な体験を数々経験しており、30歳からこの道で生きることを決意する。
千年の歴史を持つ神光家に伝わる、心の持ち方や技法を教える「神光塾」を全国で展開している。

 

作品紹介

あなたの主護霊が導く幸せな生き方

「神様の伝え手」として千年の歴史をもつ神光家に伝わる「よりよく生きるための技法」を日常生活の中で実践できる方法として紹介。
定価:本体1,300円+税/学研パブリッシング

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