はじめに

星野富弘『詩画とともに生きる』セレクション

更新日 2020.07.21
公開日 2015.08.11
  • Facebook
  • LINE
  • Pinterest

 昭和三十年の中ごろまで、我が家はほとんどゴミの出ない生活をしていた。食べることが精一杯で、食べ残しのゴミなど無かったし、野菜屑などは全て家畜の餌になり、僅かにあった古着やお菓子の箱などは、大事にとっておいて役立てた。学校で時々廃品回収をやったが、出すものがなくて恥ずかしかった。
 戦争から敗戦にかけて、もののない生活を体験した母は、なんでも大切にする習慣が身についていて、学校で使った教科書やテストの答案用紙、夏休みの絵日記など、ほとんど保存しておいてくれた。
 この本の前半に載せた、クレヨンやクレパスで描いた、たどたどしい絵は、そんな母のおかげで、戸棚の奥に残っていたものである。本に印刷して発表するようなものではないが、富弘美術館の季刊誌に毎号一点ずつ載せて、簡単な説明を書いたことがあり、その後「山の向こうの美術館」に収録した。
 今回また同じ絵を載せたのは、あの絵を描いた小学生のころの私が、あれから六十年歳を経た今の私に、かなり色濃く残っていることに気がついたからである。
 今回載せた文章は、前に書いた文章をあえて読まないで、現在の私に繋がっているところを意識して書いてみた。当然同じ言葉や似通った表現もあると思うが、同じ人間が同じ過去を振り返るのだから、仕方のないことだと思っている。
 言葉は、飾ったり嘘も書けるが、子供の絵は、そんな余裕はないから、そのときの気持ちや状況が正直に出てしまう。
 そのほかに入院中、手紙の余白や手紙に添えて出そうとして描いたが、あまりにもお粗末で出せなかったものなど、口に筆をくわえて絵を描き始めた最初のころのものを何枚か載せた。
 随分前に描いた絵だ。描いたころの私と生活はすっかり変わった。しかし心の奥底は、あまり変わっていないような気がする。

 

 

星野 富弘 (ほしの とみひろ)

1946年 群馬県勢多郡東村に生まれる
1970年 群馬大学教育学部体育科卒業。中学校の教諭になるがクラブ活動の指導中頸髄を損傷、手足の自由を失う
1972年 病院に入院中、口に筆をくわえて文や絵を書き始める
1979年 前橋で最初の作品展を開く。退院
1981年 雑誌や新聞に詩画作品や、エッセイを連載
1982年 高崎で「花の詩画展」。以後、全国各地で開かれた「花の詩画展」は、大きな感動を呼ぶ
1991年 群馬県勢多郡東村(現みどり市東町)に村立富弘美術館開館
1994〜97年 ニューヨークで「花の詩画展」
2000年 ホノルルで「花の詩画展」
2001年 サンフランシスコ・ロサンゼルスで「花の詩画展」
2004年 ワルシャワ国立博物館での「花の詩画展」
2005年 (新)富弘美術館新館開館
2006年 群馬県名誉県民となる
2010年 富弘美術館開館20周年 富弘美術館の入館者600万人
2011年 群馬大学特別栄誉賞(第一回)
現在も詩画や随筆の創作を続けながら、全国で「花の詩画展」を開いている

 

作品紹介

詩画とともに生きる

怪我をして手足の自由を奪われた中で、字を書き、絵を描き始めて、ついには詩と絵を融合させた詩画という世界を確立させるまでの過程で、絵といかに向き合い、生きる希望をつないできたかを絵の変遷をたどりながら、創作への熱い思いを語りつくした1冊。

定価:1,400円+税/学研プラス

バックナンバー

  • Facebook
  • LINE
  • Pinterest

あわせて読みたい