執筆者を誰にすべきか。
真央さんのマネジメント担当のWさんと最初の段階からの話で、これについては、かなりつめた。
真央さん、そして、マネジメントを担当するWさんの希望としては、「アスリートとしての浅田真央」を描いてほしいとのこと。この点は合致している。競技としてのフィギュアスケート。世界のトップアスリートとしての浅田真央。どう描くか。そして、だれに描いてもらうのがベストなのか。
さまざまなアイデアが頭を巡った。ただし、書き手については、迷いがなかった。あの人だ。無名ではある。しかし、文章も書けて、物語の構成力もある。なにしろ今回は、ひとりの人間が生まれてから20歳になるまでを描かなければならない。構成力がなければ、とても書ききれないだろう。
自身に演技者としても経験もあるため、「演じる」ということを描くのに適しているはずだ。脚本作家や構成作家としての経験もあり、筆力も卓越している。何よりも、人間の奥底にあるものを見つけ出して本質を描くことにたけている。
あえて懸念をあげるとしたら、世間に名の知れた人ではないということと、それまでに、フィギュアスケートについても、「浅田真央」についても、書いたことがないという点だった。ただ、重要なのは、あまたの情報を流れをもった物語として構成していく力。間違いなく、だいじょうぶだろう。あの人なら。
Wさんには、その書き手についてのことを率直に話をして、了解をもらえた。了解を得られたところで、三つのお願いをした。
真央さん本人とその家族、そして、コーチや周囲の人たちへ取材をさせていただくこと。原稿には、必ず本人も目を通してもらうこと。そして、だめだと思ったこと、事実と違うことがあれば、必ず、そうと言ってくれること。
いずれも当たり前のことだけど、三つ目が、意外となおざりになってしまうケースがある。本の怖さは、形として半永久的に残ること。描かれる側は、生身の、いま生きている人間である。だから、三つ目の作業を時間の不足やお互いの遠慮で、スキのあるものになってしまうと取り返しがつかないことがありえる。それはお互いにとって、望ましくないことだ。だからあえて、それはちゃんと事前に確認したかった。
Wさんは、ひとこと、わかりましたと言ってくれた。
バンクーバー・オリンピックを目前に控えた2010年2月、浅田真央の20年間を描く、ノンフィクション企画はスタートした。

▲浅田真央の20年を辿る旅がスタートした(写真は、章扉のゲラ刷り)