「日本の皇后さまは、皇太子妃時代から、和服と洋装の着こなしとともに、このうえなく美しい感覚の持ち主として注目を受けてこられました。よって、このたび世界の服装界における『国際的宝(International Treasure)』と評価されました」
平成二年、ニューヨークの国際ベストドレスド投票委員会は、その年のベストドレッサーに選ばれた世界の十二人を発表しました。そのおひとりに、美智子さまのお名前が挙げられ、美智子さまは、委員会より特別の言及を受けたのです。
美智子さまは、昭和六十年と六十三年にも、ベストドレッサー賞を受賞されていますから、このときの受賞で三度目。それによって、世界のベストドレッサーの殿堂入りを果たされたのでした。
「衣は人格を表す」という言葉があります。ファッションで、その人間の人柄、教養がひと目でわかります。
美智子さまのお人柄と生き方を象徴する色は、なんといっても白と紺でしょう。
日清製粉の社長令嬢だった正田美智子さんが、皇太子妃候補として初めてメディアに登場したのは、白のテニスウエアに紺のカーディガン。
白と紺のコーディネイトは清楚で、健康美あふれる美智子さんによく似合いました。
美智子さまと皇太子殿下(今上陛下)の「テニスコートでの出会い」はあまりにも有名です。
昭和三十二年八月、長野県・軽井沢のテニスコートは、殿下のご出場でにぎやかでした。美智子さんは、白のスコートをひるがえして、テニスボールを追います。スタンドには、美智子さんの母・正田富美子さんも来ていました。
このときの出会いが、まさか皇太子妃への道につながるとは、母はもとより、当の娘も思っていなかったことでしょう。
美智子さまは、この年の三月十五日、聖心女子大学を首席で卒業しています。学業だけでなく、スポーツにも秀でていました。テニス部に属し、関東学生のランキングでは、昭和三十年度シングルス四位、ダブルス二位。
今でこそテニスは大衆的なスポーツになりましたが、当時は上流社会のステータスシンボルで、社交のための令嬢の嫁入り道具のひとつでした。美智子さんは、母・富美子さんの意向で、大学のほかにも、東京・自由が丘の「加茂コート」で、元デビスカップ選手の個人レッスンも受けていました。母・富美子さんは、娘を学者か外交官に嫁がせたいと考えていて、テニスのレッスンもそのためのものでした。
清潔感漂う白と紺は、美智子さまの運命を決めた色であり、これから先も品格を表す色となりました。
エレガントな装いとは、中庸と気品、なにより清潔であることです。流行に左右されることのない清潔感こそが、本物の美しさなのです。
渡邉 みどり (わたなべ みどり)
ジャーナリスト、文化学園大学客員教授。 1934年、東京都生まれ。早稲田大学卒業後、日本テレビ放送網入社。報道情報系番組を担当(婦人ニュース・ワイドショー・木曜スペシャル)。 1980年、担当ドキュメント番組「がんばれ太・平・洋 新しい旅立ち! 三つ子15 年の成長記録」で日本民間放送連盟賞テレビ社会部門最優秀賞受賞。昭和天皇崩御報道のチーフプロデューサー、副理事。1995年、『愛新覚羅浩の生涯』(読売新聞社)で第15回日本文芸大賞特別賞受賞。 近著に、『写真集 美智子さまのお着物』(木村孝との共著 朝日新聞出版)、『日本人でよかったと思える 美智子さま 38のいい話』(朝日新聞出版)、『美智子さま 美しきひと』(いきいき)、『美智子さま マナーとお言葉の流儀』『美智子さまから眞子さま佳子さまへ プリンセスの育て方』(共にこう書房)、『とっておきの美智子さま』(監修 マガジンハウス)など。
作品紹介
日本女性としてお手本にしたい、皇后・美智子さまのエレガンス(気品)の秘密を、とっておきの写真とエピソードで紹介します。
定価:本体1,400円+税/学研プラス