麺屋武蔵がオープンした1996年。世間では「ウィンドウズ95」が発売された直後で、インターネットの大ブームが巻き起こっていました。
これは、麺屋武蔵にとって運命的なタイミングでした。
それまでは「おいしい店の情報」というのは、口コミかテレビ・雑誌くらいしか情報源がありませんでした。ところがこの時期から、「インターネットでおいしい店の情報を得る」ことができるようになったのです。
おいしいラーメン店の情報も、ネットを経由して大量に流れるようになり、麺屋武蔵にはお客様が殺到しました。遠方からもお客様が詰めかけ、2時間待ちの大行列ができるようになったのもこのころです。麺屋武蔵は「行列の店」として、大きな注目を集めました。
麺屋武蔵を作ったのは、初代店主の山田雄(たけし)です。私たちは尊敬の念をこめて、「親方」と呼んでいます。
無敵の剣豪・宮本武蔵のスタイルは、「先例なしの亜流なし」というべきもので、生涯、師を持たず、独自のやり方で道を切り拓きました。そのスタイルに惹かれ、「世の中に出ていない目新しいもの」を発掘し、オリジナルを提示したいと考えて、店名を決めたそうです。
私が入社したのは、2001年。青山店の次に開業した新宿店に、スタッフとして入りました。
当時、親方はバリバリの現役で、店で麺上げ(麺をゆで上げること)をしていました。親方は、私たちに、麺屋武蔵はどうあるべきか、麺屋武蔵で働くスタッフはどう考え、どう行動するべきかを教えてくれました。
私も現場での動き方に対していろいろと指導を受けましたが、決まって言われたのが、「そのほうがカッコいいだろ」でした。
どんなことでも、
「それ、カッコいいからいい」
「それ、カッコ悪いからダメ」
でした。
ラーメンの出来にしても、サービスにしてもそうです。
「カッコいい」は、単に姿形がいい、外見がオシャレということではありません。
「新しいこと」
「手間ひまがかかって、難しいこと」
「よく考え込まれていること」
でした。
逆に、「カッコ悪い」のは、
「よそのマネ」
「安易なこと」
「思いが浅く、妥協していること」
でした。
さらに、この「カッコいい」は、他人から見てどうかの前に、「自分で自分を見てどうか」が問題でした。
これは、究極のダンディズムです。
もともと親方は、アパレルメーカーの経営者でした。
「他人と同じ格好はしない」
「目立つ」
これを徹底的に追究していたといいます。
ファッションの仕事は、革新的なデザインを、誰よりも先に取り入れ、「オリジナル」であることが生命線です。他人のマネではなく、シンプルに「カッコ良さ」を求めるというのが、親方の基本姿勢になっていったのです。
後を継いだ私たちも、「カッコいい」にひたすらこだわり続けています。
まず、後ろめたいことはしない。
「カッコいい仕事をしているか?」と誰かに聞かれた時に、噓があったり、ごまかしがあったりしては、「はい」と言えません。
たとえば、レードル(小型のおたま)で丼(どんぶり)にタレを入れる。その時に、ちょっとこぼれたのに、「急いでいるからいいや」と見逃す。
スープがちょっと多く入ってしまったとか、ちょっとゆですぎたというような時に、「ま、いっか」と妥協する。
これは、非常にカッコ悪いことです。
「自信を持ってできている仕事」は、カッコ良く見えます。
こうした「カッコ良さ」へのこだわりがあるからこそ、麺屋武蔵の今があります。
(※この連載は、毎週木曜日・全8回掲載予定です。2回目の次回は3月16日掲載予定です。)
矢都木 二郎 (やとぎ じろう)
株式会社麺屋武蔵 代表取締役社長。
1976 年 埼玉県生まれ。
創業者・山田雄のイズムを継承し 常に「革新的で上質」なラーメン店作りを目指す。
ラーメン界の新しい取り組みとして コラボレーション商品を多数提案。ロッテ カルビー 旭酒造といった企業から 自治体や生産者まで 幅広くコラボレートして 多くの革新的なラーメンを生み出す。「チョコレートからフルーツまで ラーメンにできない食材はない」と語り ラーメン店の無限の可能性に挑戦し続けている。
ラーメンの創作活動の傍ら 経営者として 業界の職種的地位向上に尽力。さらに職場環境 待遇の積極的改善 「料理ボランティアの会」を通じてのボランティア活動などを積極的に行っている。
◆主な経歴
・2001 年 株式会社麺屋武蔵 入社
・2003 年 「 麺屋武蔵 武骨」店主に就任
・2004 年 「 麺屋武蔵 新宿総本店」店長に就任
・2013 年 株式会社麺屋武蔵 代表取締役社長に就任
作品紹介
20年間、業界のトップを走り続けるラーメンの名店・麺屋武蔵。創業以来脈々と伝わる「成功の極意」を2代目社長が語る。
定価:本体1,300円+税/学研プラス