では、なぜ断捨離で、人生が変わるのか? なぜ、モノを手放すことで、心がスッキリするのか?
それは、私たちがモノに「意味」を張りつけ、「想い」を込めているからです。
たとえば、愉しかった思い出のモノは、愉しい想いの証拠品であり、高かったのにあまり着なかった洋服というのは、「後ろめたさ」という負の想いの証拠品です。
人からもらったモノの場合は、贈り主の想いに加え、「誰からもらったモノなのか」という、贈り主に対する自分の想いも重なります。
好きな人からもらったモノは多少好みでなくても大切に思えるのに、好きでない人からもらったモノはよっぽど気に入らない限り大切に思えないということはよくあることでしょう。
もともと、モノには意味はついていないので、意味づけしているのは私たち。
そこにどんな想いを張りつけているのかで、自分から見た「モノのありさま」は違いますし、自分が受ける影響もまったく違うものになってきます。
その想いが嬉しいものなら、それは素敵なことですし、きっとそのモノは、自分にとって「お気に入り」であるはずです。しかし、その想いが自分にとって「重い」ものであれば……どうでしょうか?
たとえば、そのモノを見るたびに「辛かった出来事」や「大嫌いな○○さん」が思い浮かぶのなら、けっして愉しいものではありませんよね。むしろ、それは、心を重くしている、不機嫌にしているモノだと言えるでしょう。
モノはモノであって、モノではありません。私たちの感情そのもの。
つまり、断捨離でモノを手放すことで、感情も一緒に手放せるということなのです。
ここで、ある女性のお話をしましょう。
彼女は、結婚して30年以上もたっているにもかかわらず、結婚前からのモノをすべてため込んでいました。
昔、モテモテだった頃にもらったたくさんのラブレター。昔、学生時代に読んだ本。昔、男性に称賛された若く可愛いアイドルのような写真……。
それらの山のような品々は、すべて過去の遺物。でも、彼女はそこに希望の想いを込めていたのです。
「私、ホントはみんなのマドンナ。しかも、知性にもあふれた私。けっして、ただの主婦なんかじゃないのだから。今、誰からも見向きもされない私は、ホントの私とは違うのだから」
そう、この女性は、今の自分の現実と、かつての注目を一身に集めていた自分との乖離に、大いに不全感を覚えていたのです。今の立場が面白くなく、つまらない。つまり、現在の夫、現在の家族、現在の経済状態、現在の立場には、すべて不満。「こんなはずではなかった」との想いが、彼女のベースとなって日常があったのです。
だから、それら過去の栄光の品々を、すべて身の回りに積み上げていたのです。
彼女は、過去の品々に、こんな想いを込めています。
「いつか私だって、またシンデレラになれるはず。だって、私はこんなにも素敵な存在だったのだから」
彼女は、過去に生きている自分に気づいていません。現実に目を向けていない自分に気づいていません。だとしたら、彼女はこれからもずっとこのまま不全感とともに歩むことになります。これでは、人生は変わりません。
でも、もしも、彼女が、これら過去の遺物たちに込めた自分の想いに気づけたなら、そして、それらを手放すことができたなら、人生に代謝が起きてくるはず。過去のよどみと化したヘドロの沼から足を洗い、今の自分を取り戻していけるはず。
これは、いかに、私たちがモノに想いを込めているかという、怖ろしいくらいの実例であり一例です。
モノというのは、その物理的な形や機能のことではないのです。モノ自体は「モノ」として存在していますが、私たちにとっては、「モノ+想い」として目の前に存在しているということなのです。
やました ひでこ
東京都出身。石川県在住。早稲田大学文学部卒。 学生時代に出逢ったヨガの行法哲学「断行・捨行・離行」に着想を得た「断捨離」を日常の「片づけ」に落とし込み、誰もが実践可能な自己探訪メソッドを構築。 断捨離は、心の新陳代謝を促す、発想の転換法でもある。 著者が創出した「断捨離」は、今や一般用語として広く認知され、年齢、性別、職業を問わず圧倒的な支持を得ている。 処女作『断捨離』(マガジンハウス)は、日本はもとより台湾、中国でもベストセラーとなり、『俯瞰力』『自在力』(いずれもマガジンハウス)の断捨離三部作ほか、著作・監修を含めた関連書籍は累計300万部を超えるミリオンセラー。 本書は、初の大人の男女向けの作品。
作品紹介
空間を整えると、人生がととのう。溜め込みと抱え込みで、人生を重たくしている大人の男女に向けて、断捨離の極意を紹介する。
定価:本体1,300円+税/学研プラス