ハルジオン 1980年
ちょうどよいところに、ちょうどよい大きさの花が咲き、葉がつき、ほどよい太さの茎がそれらを支えている──。
絵の勉強をしたわけではない。けれど雨風に打たれながら自然が育てたものなら、構図や色彩などと難しいことは考えずに、そのままを素直に描けば、いい絵になるのではないか。
そう確信するきっかけになったのは、道端に咲いていたからと、いただいたハルジオンを描いたときだった。
正直、この花は好きではなかった。畑の草むしりをしていると、どこにでも生えていて、むしっても、むしっても決してなくならない恐ろしい草で、農家の人は貧乏草と呼んでいた。
それが、よく見ると、ほんとうにきれいで、何枚も描いた。
つゆくさ 1980年
家のまわりに生える草を、母は愚痴を言いながら、毎日毎日むしっていた。
夏の草むしりは辛い仕事だ。それを嘆いているのかといえばそうでもなく、私には、うれしそうに見えた。固い病院の床から、帰るべきやわらかい土の上にやっと戻れたのだから。
田舎の人は往々にして、反対の言い方をよくする。ものを差しあげるときに、「つまらないものですが」と言うのに似ている。
うれしければうれしいと素直に言えばいいのに、とくに喜びの表現は控えがちだ。人前で手放しで喜ぶことを遠慮するのは、他人とはいえ兄弟のように助け合って暮らす人たちへの思いやりかもしれない。もしかしてその時、その人が悲しい境遇にあるかもしれないのだ。
頼まれごとをされても、なにを頼みたいのかをすぐに察して、話が終わらないうちに承諾してしまう。言い辛いことを相手にすべて言わせるのは失礼だと思ってしまうのだ。
どれも、日本人の精神土壌とも言えるが、田舎の人にはいまだに根強く残っているようだ。
密やかに、つつましく咲くつゆくさに、母の姿が重なる。
星野 富弘 (ほしの とみひろ)
1946年 群馬県勢多郡東村に生まれる
1970年 群馬大学教育学部体育科卒業。中学校の教諭になるがクラブ活動の指導中頸髄を損傷、手足の自由を失う
1972年 病院に入院中、口に筆をくわえて文や絵を書き始める
1979年 前橋で最初の作品展を開く。退院
1981年 雑誌や新聞に詩画作品や、エッセイを連載
1982年 高崎で「花の詩画展」。以後、全国各地で開かれた「花の詩画展」は、大きな感動を呼ぶ
1991年 群馬県勢多郡東村(現みどり市東町)に村立富弘美術館開館
1994〜97年 ニューヨークで「花の詩画展」
2000年 ホノルルで「花の詩画展」
2001年 サンフランシスコ・ロサンゼルスで「花の詩画展」
2004年 ワルシャワ国立博物館での「花の詩画展」
2005年 (新)富弘美術館新館開館
2006年 群馬県名誉県民となる
2010年 富弘美術館開館20周年 富弘美術館の入館者600万人
2011年 群馬大学特別栄誉賞(第一回)
現在も詩画や随筆の創作を続けながら、全国で「花の詩画展」を開いている
作品紹介
怪我をして手足の自由を奪われた中で、字を書き、絵を描き始めて、ついには詩と絵を融合させた詩画という世界を確立させるまでの過程で、絵といかに向き合い、生きる希望をつないできたかを絵の変遷をたどりながら、創作への熱い思いを語りつくした1冊。
定価:1,400円+税/学研プラス